アメリカのオバマ元大統領が2019年に行ったスピーチがとても好きです。
スピーチの一部を記述したワシントンポストの記事からオバマ元大統領のコメント部分を訳してみましょう。
他人に石を投げつけたって世の中は変えられない
“There is this sense sometimes of, ‘The way of me making change is to be as judgmental as possible about other people,’ and that’s enough,” he said, noting that the mind-set was only “accelerated by social media.”
“If I tweet or hashtag about how you didn’t do something right or used the wrong verb, then I can sit back and feel pretty good about myself, because, man, you see how woke I was?” he said, drawing laughter from the audience. “I called you out.”
But the act of public shaming on social media, Obama said, is “not activism.”
“That’s not bringing about change,” he said. “If all you’re doing is casting stones, you’re probably not going to get that far. That’s easy to do.”
Obama's critique of 'woke' culture on social media draws bipartisan support - The Washington Post
~抄訳(ほぼ意訳)~
「変化を起こすには他人に対してできるだけ批判的になる必要がある、とする認識が時々あるが、そのような心理状態はソーシャルメディアによって加速されただけだ」とオバマ元大統領は指摘する。
「もし誰かが正しいことをしなかったり不適切な動詞を使ったら、それについてツイートしたりハッシュタグを付けたりしてコールアウトすると、気分が落ち着いて凄く良い気持ちになる」と彼は言って聴衆の笑いを誘った。
※コールアウト・・・人の失敗や悪事を公的な場で晒し上げて罰する行為
しかしソーシャルメディア上で公に晒し上げる行為は「行動主義ではない」と彼は言う。
※行動主義・・・社会的・政治的変化をもたらすために特定の思想に基づいて意図的な行動をすること
「そんなことでは世の中は変わらない。そうやって石を投げつけているだけなら、世の中を変えるには程遠いだろう」
世界中のSNSで批難や誹謗中傷が飛び交っている現状に対するこのスピーチは話題になったため、知っている方も多いかもしれません。
メッキを剥がした後に何が残るか
目的は手段を正当化する。
崇高な目的を達成するためであれば手段を選ぶ必要はない。
これは明確に「悪の手段」を許容し得る発想であり、少なくとも「正義」を実現しようとする人が用いていい発想ではありません。
「正しくないこと」を行っている人に対して誹謗中傷を飛ばしたり社会的な制裁を加える行為は一見すると「正しくないこと」の反対側、すなわち「正しいこと」のように錯覚するものです。
しかしその「正しさ」のメッキを剥がした後に残るのは「他者を誹謗中傷する」「他者を攻撃する」行為のみです。それが本当に正義の行いだと言えるのか、私たちは胸に手を当てて考えねばなりません。
もちろん世の中には「他者を誹謗中傷し」「他者を攻撃」することで満足を得るちょっと困った性質の人もいます。
しかし世のため人のためを思って活動する行動主義者や善意の人は、そういった人々と同じ行動を取るべきではありません。
率直に言って、信念や目的の違いどころか善意の有無すら関係なく、傍から見ればまったく同じにしか見えないのですから。
結言
目的は手段を正当化しません。
手段と目的は分かち難いものであり、どのような手段を取るかによって目的の意味は変わります。善なる目的を達成するためには善なる手段が不可欠です。
ストレスで苦しんでいる人に対して、
◆真剣に話を聞いて安らぎを与える
◆覚せい剤を投与して安らぎを与える
どちらも「安らぎを与える」目的なのだから構わないだろう、なんて、有り得ないでしょう?