本記事では軍事と抑止力の話をします。リアリズム寄りの視点であり、非武装を望む方にはあまり好ましい言説とはならないのですが、ご承知いただけますと幸甚です。
リアリズム的視点
軍事に関する議論を見ていると「軍拡競争に対する軍事的緊張への認識」がリアリズムとリベラリズムで大きく乖離していると感じます。
リアリズムの視点からすれば軍事的均衡を保つことが緊張を緩和すると考えるのに対して、リベラリズムの視点からすれば軍拡競争は緊張を高めるものだと考えます。
私個人は国際関係論においてリアリズム寄りの発想を持っているため、次のように考えています。
- 軍拡は手段であり目的ではない、軍拡競争が起こるから緊張が高まるのではなく、緊張が高まるから軍拡競争が起こる(因果関係ではなく相関関係)
- 軍拡競争が戦争原因になった事例はほとんどなく、逆に軍縮が戦争原因になった事例は多数ある
- 平和主義を守るのではなく、平和を守ることを優先したい
多少過激な物言いではありますが、「平和主義を守るために他国から侵略を受けても抵抗しない」と考えることはしません。それは信念や主義主張に殉じる行為であり、本質的には「お国のために死ね」と言っていた戦中と同等であり、それよりもあらゆる手を尽くして戦争を抑止したいです。平和"主義"を守るのではなく"平和"を守るべきだと思っています。
とはいえリベラリズムの「軍拡による緊張論」にも納得感はあります。
相手が武器を持っているかいないかで言えば、当然ながら武器を持っているほうが緊張は高まるでしょう。武器なんてものは無いに越したことはありません。
実際問題として、軍拡競争は軍事的緊張を高めるか否か。どちらでしょう?
この辺りの思索はどうしても価値観や感情論が介在しがちなため、今回は学術的研究から見解を引用することにします。
軍拡競争は戦争の勃発につながるか?
少し古いですが、軍拡と軍事的緊張については次のような論文があります。
Can Arms Races Lead to the Outbreak of War?
軍拡競争は戦争の勃発につながるか?
◆https://www.acsu.buffalo.edu/~fczagare/PSC%20504/Intriligator.pdf
軍拡競争は軍事的緊張を高めるか否かを語った論文で、著者は平和経済学者のMichael D. Intriligatorです。
分析は2国間であり現代に適用するには少し古いモデルではありますが、戦争勃発のリスクを説明するには充分だと考えます。
この図は戦争勃発のリスクが低く安定的な状態を斜線、それ以外を戦争勃発リスクがある状態として領域で描き、そこに軍拡・軍縮シナリオの軌跡1~5を当てはめたものです。
順に見ていきましょう。
軌跡1は両国が完全に非武装の状態から軍拡競争が始まるシナリオです。この場合、軍拡競争が進むと斜線部領域から否応なしに外れるため、強制的な開戦に至ります。これは軍拡競争から戦争に至る場合の例です。そのため、左下の斜線部領域は戦争リスクが低いもののどちらかが軍拡をした時点で領域から外れるため、本質的には不安定であると著者は述べています。
軌跡2は両国で軍拡が進んだ結果、AがBを攻撃できる状況から双方が相手を抑止する状況へと変化するものです。これは「平和を求めるなら戦争に備えよ」といった軍拡競争の結果、不安定な状況が安定化する例です。
軌跡3は軍事的に優位なA国が軍縮し、同時にB国が軍拡した場合です。その結果、戦争の発生確率が低下し、A国がB国を攻撃できる状況からそれぞれが相手を抑止する安定的な状況へ移行する例です。
軌跡4は両国が武装解除することで、相互抑止の安定的な領域からそれぞれが相手を攻撃できる不安定な状態になる場合です。無事に双方が武装解除に至れば安定的な状態へ戻ることができますが、そうならなかった場合は戦争勃発のリスクが高まることを意味しており、この軌跡は二国間軍縮がもたらす潜在的な危険性を示しています。
軌跡5は軌跡4と同様に両国が武装解除する場合を示していますが、軌跡4とは異なり選択的な軍備の削減を表しています。抑止のバランスが崩れないよう選択的に軍備を削減して斜線部領域に留まる限り、不安定化を引き起こす心配はありません。
このように、「軍拡競争は戦争の勃発につながるのか」という問いに対する答えは単純なものではありません。よく言われる「軍拡競争は戦争につながる」という意見も、正解でも不正解でもなく状況次第となります。
逆に「軍縮は戦争を防ぐ」もまた状況次第であることが分かります。軌跡3や軌跡5のような軍縮であれば戦争抑止に資するのに対して、軌跡4のような軍縮は戦争リスクを高める結果となります。
平和に対する方法論がリアリズムとリベラリズムですれ違うのはまさにこの図に理由があり、リアリズムは右上の斜線領域を平和と定義し、リベラリズムは左下の斜線領域を平和と定義しているためでしょう。
日本の取る道
一例として、日本をA、中国をBとして、日中の軍事バランスを具体的に考えてみましょう。
まず現在の軍事力が中国優位であることは疑いようのない事実だと考えます。
とはいえ戦争勃発に至っていないことから同盟を含めた日本側の抑止力も効果を発しており、相互抑止の円錐(Cone of Mutal Deterrence)の中に入っていると考えられるでしょう。
このバランスはおよそ下図の赤点あたりに位置するとします。
日中の軍事バランスが変化しない場合、つまり現状維持もしくはバランスの取れた軍拡競争が続く限りはこの円錐領域から飛び出すことはないため、戦争の勃発を抑止することが可能です。
円錐状の範囲内に位置していればよいため、必ずしも日本が中国と同じだけの金額を使い同じだけの兵器を準備する必要はなく、下図のように適切な抑止のラインに乗っていれば問題ありません。
逆に日本の軍縮や中国の軍拡によって円錐の安定領域から外れる場合は戦争リスクが高まります。
両国ともに軍縮を進めることも一つの選択肢です。
しかしそれは軌跡4を通ることになるため、完全な非武装化に至るまでは戦争リスクが高まるギャンブルとなります。
結言
軍拡競争が戦争勃発の原因になることはあります。
しかしそれは双方の国が非武装状態から軍拡が始まる場合のみであり、かなり特殊な事例です。少なくとも日本の現状には当てはまりません。
また図からも分かるように、片側の国が完全に非武装化した場合、残念ながら戦争リスクはむしろ高まることになります。さらに厳しい見解として、双方が非武装である左下の低リスク領域は本質的に不安定だと著者は述べています。
図より、日本が戦争を回避するためには適切な抑止の維持が必要であり、単調な軍縮や軍拡競争への参加拒否は戦争リスクを高めることになります。
気分の良い結論では決してありませんが、以上です。
余談
もちろん戦争の勃発原因は軍事バランスのみで判断できることではなく、もっと複合的です。とはいえ軍事は重要なファクターでもあり、学問的な理解が必要だと考えます。
平和経済学(Peace Economics)は、紛争の原因と結果を理解し、それを回避または解決する方法を理解するために経済学の視点を用いる学問です。
日本では軍事や戦争に関する研究があまり盛んではありませんが、平和を希求する日本においてこそこういった学問が発展すべきではないかと愚考します。