忘れん坊の外部記憶域

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「バターよりも大砲」論と「ヒトラーに例える論証」

 「バターよりも大砲」という言い回しがあります。

 バターは民需品、大砲は軍需品を意味しており、元々は経済学において「大砲かバターか(Guns vs Butter)」、つまり軍需と民需のバランスを考えるためのモデルとして用いられている言葉です。

 しかしながら、この用語を用いてナチス・ドイツのヘルマン・ゲーリングが演説で語った「バターよりも大砲」のほうが今では有名かもしれません。

 

 ゲーリングの演説は「バターを食べても太るだけであり、必要なのは有事の備えだ、民需品よりも軍需品を優先すべきだ」とした意図を持っていましたが、ナチス・ドイツの辿った末路から、現在では軍事費の増額を考える政治家や学者を批判するために用いられることが多い言葉になっています。例えば「バターよりも大砲を求めるのは崩壊への道である」とした形です。

 日本でも2015年の安保法制改正の際や昨今の防衛予算増額の議論において、防衛予算増額に反対する言説として用いられているのを散見しました。

 

 宣伝相のゲッベルスが言ったならまだしも軍人のゲーリングが言った言葉程度にどれほどの価値があるのか個人的には疑問に思っていますが、それはさておき、軍事予算の放漫な膨張を避けるためにもメディアや学者が政府へ監視の目を光らせることは重要なことですし、軍需に傾倒して民需が不足しないよう忠告を発するのは必要なことです。

 そのため「バターよりも大砲」的な言説は問題ない妥当な批判だと思っています。

 

 ただ、直接ナチスと結び付けて「バターよりも大砲」を論ずるのは筋が悪いのではないかとも考えています。

 

バターよりも大砲が必要な場合

 第二次世界大戦前及び戦中におけるドイツの軍事費は国家予算の60%以上でした。これは明確に「バターよりも大砲」の状態であると言えるでしょう。

 しかしナチス・ドイツと敵対していたイギリスはどうかと言えば、戦中の軍事費は国家予算の80%を超えています。極論ではありますが、戦時中のイギリスはナチス・ドイツよりも「バターよりも大砲」でした。

 

 とはいえ、ナチス・ドイツからの侵略を受けていたイギリスが民需よりも軍需に予算をつぎ込んだことに対して「バターよりも大砲を求めるのはナチス・ドイツと同等だ」と言うべきでしょうか?

 状況を考えれば、イギリスの「バターよりも大砲」はまったくナチス的ではなく、むしろバターよりも大砲を選んだことでナチス・ドイツのイギリス本土進攻を阻止できたと考えるほうが現実的で自然だと私は考えます。

 もっと近い例であれば、2014年以降軍事費を高めているウクライナに対して「バターよりも大砲を求めるべきではない」と制止するような言説を述べるのは残酷だと考えます。それは「黙ってロシアに侵攻されていろ」と言外に言っているようなものです。

 

 つまり、バターと大砲の配分をどうするかは周辺環境に大きく依存します

 「バターよりも大砲」と批判すべきは侵略企図を持った加害国側に対してであり、侵略を受けている側に用いるのは不適切です。

 そういった環境を考慮せず、軍事費の増額を十把一絡げに「バターよりも大砲を求めるのはナチス・ドイツと同等だ」と批判してしまっては「ヒトラーに例える論証」になりかねません。

 

「ヒトラーに例える論証」になりかねない

 「ヒトラーに例える論証」は早まった一般化に類するものであり、レッテル張りの一種でもあり、感情に訴える論証の一種としても作用します。簡単に言えば、相手をヒトラーやナチスに例えて語ることによって相手を悪だと断定する詭弁です。

 

 ヒトラーと同じことをしたからといってそれが必ずしもヒトラーと同じになるとは限らない以上、「ヒトラーに例える論証」は用いるべきではない詭弁です。それは言説の信頼性を著しく落とす結果としかなりません。

 

●ヒトラーは菜食主義者である、よって菜食主義者はヒトラーと同等である

 こんな論証は不適切で誤っています。

 

●ヒトラーは軍事費を増やした、よって軍事費を増やす人はヒトラーと同等である

 これも同様に不適切で誤りです。前提条件として「他国を侵略するために軍事費を増やす」行為こそがヒトラー的であり、そうでない場合には適用できない論証です。

 

結言

 私を含めて、大抵の人は「バターよりも大砲」を望んでいないと思います。理想を言えばお金は軍需よりも民需に使って欲しいものです。

 ただ、バターと大砲の配分は一国家だけで決まることではなく、周辺国の意思や軍事力といった環境によって定まります。それを考慮せず「バターよりも大砲を求めるのはナチス・ドイツと同等だ」と批判を展開するのはどうにも詭弁であり筋が悪いと、そう考えます。

 少なくとも現在の日本やドイツの防衛予算増額に対して適用すべき論証ではないです。日本やドイツはナチスとは違い侵略用の兵器を準備しているわけではないのですから。

 

 

余談

 ICBMやCVA、長距離戦略爆撃機などの購入を政府が検討し始めたら、それはもう間違いなくナチス的ですので、全力で「大砲よりもバター」と言いましょう。