私「この単純作業、全然まったくさっぱりやる気にならないんだけど」
同僚「黙ってやれよ」
私「誰のためにもならないどころか無駄になるだけのブルシットな作業なんだけど」
同僚「いいから黙ってやれよ」
私「これをやれば飢餓で苦しむ子どもが10万人助かる、くらいの利得がないとモチベーションが保てない」
同僚「黙って徳を積め」
私「こんなんで徳を積めるわけなし、積めるのは賽の河原の石くらいじゃん」
同僚「気持ちは分かるけど」
マンガやアニメにあるような、デスクの上に聳え立つ紙の山。1000枚を超える紙の書類。
これをひたすらチェックしてハンコを押す作業を前にした時の会話です。
いやあ、こんな仕事ってホントに実在するんですね。
単純作業を撲滅したがる理由
職種にもよるとは思いますが、大抵の仕事ではルーチンワークや定型業務があると思います。私もデスクワーカーの技術屋ですので、書類仕事なり日常業務なりが色々と存在していました。
過去形なのは、今はもうほとんどルーチンワークをやっていないためです。冒頭の事例は極めて特殊なパターンです。
定型業務は自動化し、冗長なプロセスはルールを変えて省略し、不要な業務は圧縮する。そういった活動を積み重ねてきた結果、今では一日の大半を設計や技術的な非定型業務に割けるようになっています。以前にやったことをもう一度やるといった事態はそうそう発生しません。
そういうことが出来る職種と職場なのはとてもありがたいことです。
私がルーチンワークや定型業務を排除しているのはなにも「発展的な業務に集中するため」といったような意識の高い発想からではありません。
ただただ単純に、ルーチンワークや定型業務に適性が無いためです。あれは私には致命的なまでに向いていません。やりたくないから排除しているだけです。
単純作業が致命的に向いていない性格
単純作業や同じことの繰り返しが昔から苦手です。
小学校の通信簿では「落ち着きがない」と何度も書かれたことがあります。
てんやわんやした非定型な出来事に対しては特に物怖じせず積極的に適応することができるのですが、逆に変化のない単純作業は30分も持たずに飽きてしまいます。
単純作業も着手し始めは効率化を楽しめるからまだいいのですが、効用が逓減して変化が無くなった辺り、技術屋的に言えば「サチる」ところでもう退屈が意識を支配してしまうのです。
昔話をしましょう。
あれは社会人一年生のことです。
弊社は製造業らしく、社会人一年生を生産ラインに放り込んで現場と製品への理解を深めるための現場研修を行っています。
入社後しばらくの座学期間を終えて、いざ現場研修初日。
当然ながら新入社員の研修で任される仕事は品質に直接関わらない単純労働。
延々と同じことを繰り返すだけの退屈な立ち作業。
見る見るうちに萎えていくやる気。
徐々に狭まっていく視界。
機械の駆動音すら子守唄に変わっていく。
噛み殺し切れない欠伸。
自然と生じる緩やかなヘッドバンギング。
微睡の中に意識が静かに落ちていき・・・
若者「立ちながら寝るなんて器用っすね、ヤバいから起きたほうがいいっすよ」
私「ふぁ!?」
新入社員の現場研修初日、なんだかんだ緊張しているはずだというのに、それでも寝落ちしました。
同期の高卒の子が起こしてくれたので事なきを得ましたが、自分の単純作業への適性の無さにたいへん驚いた次第です、はい。
結言
「絶対に現場では取らない、お前はいらない」
現場のリーダーに言われた言葉です。
まあ、同意ですし同感です。私が現場のリーダーだったら私のようなポンコツは要らないです。
いやあ、技術職で採用されて本当に良かったです。
私にとっても、会社にとっても。
余談
今回降って湧いてきた書類作業は途中で寝ないよう、職場の隅で、立ちながら、残業時間に、歌いながらこなしました。傍から見たら不審者のように見えるかもしれませんが、これが私の通常運転です。