忘れん坊の外部記憶域

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奨学金と大学無償化に関する議論へ提供する愚見

 ここ最近、奨学金による借金苦の話、奨学金の帳消しを求める団体の話、また奨学金に関連して大学無償化の議論を眺めていました。

 今回はお金に疎い私がこれら議題に関する個人的な素人見解を述べていきます。

 

奨学金の帳消しに関して

 まず奨学金の帳消しについて。

 個人的な見解ではありますが、帳消しを求めるのは少し違うと思っています。奨学金はリスクを取って教育機会を掴むための借金だと考えており、誰かに強制されるものではなく自らの意思で行うことができるからです。

 私も家計への負担を考慮して、奨学金を借りることで大学へ進学しました。借りる際は将来的に返済可能な額を勘案して、その奨学金の額で通える大学を選んで進学し、今も奨学金を返済しています。現在は幸いなことに人並み程度の給金を頂戴しており奨学金返済の負担はそこまでではないですが、それは奨学金を申請する際に自らが取れるリスクを充分に勘案した結果でもあると考えています。

 奨学金はまだ大人ではない責任能力の低い子どもが借りるものではありますが、連帯保証人も含めて返済には社会的な責任があります。

 「借りたお金は返す」「返せないお金は借りない」ことは貨幣価値を保つために必要不可欠な、社会における絶対的な約束の一つだと思う次第です。

 

 もちろん現実には平穏無事な生活を送れる人ばかりではなく、急病や事故などで借金の返済が滞ることは起こり得ますので、そういった人々に対する救済措置は社会正義として為されるべきだと思います。

 ただ、他の借金と同様に理不尽や困難に直面した人を救う仕組みに頼るべきであって、奨学金を特別視して帳消しにすることは是と考えません。

 なにより、日本学生支援機構の奨学金は過去に奨学金を借りた人々からの返還金が主な原資です。つまり、奨学金の帳消しを行い返還金が無くなるとこれからの若者は奨学金を借りることができなくなってしまいます

 借金苦に苦しんでいる人を軽んじるわけではありませんが、これからを生きる若者の教育機会を奪うようなやり方は、どうにも、単純に好みではないです。

 

大学無償化に関する考察

 大学無償化は奨学金の是非についての議論で並行して挙がることが多いトピックです。

 大学無償化については賛成とも反対とも言えません。どのような制度を設計するかを定義しない限り賛否が問えない問題だからです。

 大学の無償化と一口に言いますが、教育機関には様々な種類があり、また各国で教育システムが大きく異なることから単純に国家間での比較をすることもできません。他国で無償化が出来ているから日本でも出来る、とは決して言えないです。

 日本で大学無償化をするのであれば日本の教育システムに合った仕組みを新しく設計するか、どこか他国の教育システムを参考にシステム丸ごとを改修しなければいけないでしょう。

 

 一例として、高等教育(第三の教育:tertiary education)に関するOECDの統計を見てみましょう。大学の学費が安かったり無償であることが有名な国をいくつかと、合わせて日本をハイライトで表示しています。

 高等教育は大学以外にポリテクニック(職業学校)等も含まれています。日本の学校で高等教育に該当するものは短大・高専(専攻科)・大学・大学院などです。

出典:Education attainment - Population with tertiary education - OECD Data

 

 上図から、日本はOECD加盟国の中でも高等教育を完了した人の比率が高いことが分かります。学費無償の中ではノルウェーが約55%と高水準にいますが、日本の約65%よりは低くなっています。その他の国も日本より高等教育を受けた人口比率は低いです。

 つまり、日本は後期中等教育終了後に高等教育へ進学する人が多く、それだけ高等教育機関の規模が大きいことを意味します。これを単純に無償化となると他所の大学無償化を実現している国よりも財政負担が大きくなります。決して単純に言えることではありませんが、ドイツやフィンランドのような学費の公的負担を目指すのであれば25%、ノルウェー規模であっても10%程度は学生を減らす必要があるかもしれません。

 数字を見る限り、残念な話ですが、「大学が無償化すれば経済的な格差が無くなり誰もが大学に行ける」といったバラ色の未来図は訪れそうもなく、大学が無償化されると大学に行ける学生が今よりも限定的になるかと思います

 

 確かに経済面での格差を緩和することを目指すならば大学無償化は有力な選択肢です。ただ、そのために学業の道が狭まり教育面での格差が広がる可能性があることを考える必要があります。

 「誰もが大学に行って勉強する」も「勉強が好きではない子は就職する」も、どちらも価値観として正誤や善悪は無い以上、大学に進学せず就職や職業学校への進学を今よりも若者に選択させることの是非に対する社会的な議論と合意形成が不可欠でしょう。

 

 いずれにせよ大学に対する価値観はそれぞれであり、それをどの程度反映させた制度設計を行うかが明確に定義されなければ、大学無償化の議論はしようがないかと思います。

 

結言

 教育へ税金を投入することは否定しません。むしろ大賛成です。若者の教育にお金を掛けることは社会的に必要不可欠な投資であり、人々の人生の質を高めることにも繋がります。

 ただ、奨学金帳消しについては消極的反対ですし、大学無償化については制度設計次第と考えています。

 

 個人的な意見としては、年々学費が増大していることは間違いなく将来的な学生の負担が増えることは明確ですので、まずは無償化の前に学費の抑制、具体的には大学の再編による効率化を促すような法整備を行うことが良いのではないかと考えています。