忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

ブログの長文と短文に関する余計な思索

 ふと思っただけのオチも何もない話。

 

ブログ記事と文字数

 人様のブログを巡回して様々な情報を読ませていただくことが私の日課の一つですが、毎日様々なブログを読んでいると何かしらの傾向が垣間見えるものです。

 今回は文字数に関する傾向の話をしましょう。

 

 ほとんどのブログは1記事当たりの文字数にそこまで変動は無く、必ず数百文字以内でキッカリと納めるブログもあれば、一万字を超える熱量を持って記事を仕上げる方もいます。

 もちろん投稿頻度によっても文字数の多寡に傾向はあり、毎日投稿される方よりは週1や月1で投稿される方のほうが長文傾向にはあります。とはいえ月1の投稿頻度でも数百文字でピシャリと切れ味良い快刀乱麻な意見を述べる達人もいれば、毎日投稿でも数千文字以上を書き綴る言葉遣い巧みな猛者もいらっしゃいますので、投稿頻度よりはその個人のスタイルが強く影響しているのでしょう。

 

 私のブログも毎日投稿してはいますが、文字数は1000~3000程度、日々取り扱っているテーマは社会問題やデータ分析などヘヴィなことが多い割には短いとも長いとも言えない中途半端な文字数です。帯には短いけれども襷には長いくらいの文字数です。短く収めるには語彙が足りず、しかし仔細を説明するには技量がない、個人的には自身の文字数にそんな印象を持っています。切れ味鈍く、しかし重いわけでもない、刀にもこん棒にもならないナマクラ記事です。

 文字数を理由にしてみましたが、ナマクラなのは多分違うところに原因があると思います。お仕事ではなく趣味の一環ですので、何卒お目こぼしいただけますと幸甚です。

 

 ちなみに、記事を書いている時の感覚として、1000文字未満だとまだ説明不足な気がして言葉を継ぎ足し紡がねばとモヤモヤし、2000文字を超えたあたりで風呂敷を畳まねばとソワソワします。

 文字数の閾値は人それぞれでしょうが、ほとんどのブログで1記事当たりの文字数にそこまで変動が無いのはこのような『文字数の収まりに関する感覚』がきっと他の方にもあるためではないかと思っています。合っているかは分かりません。

 

文字数の多寡は能力差ではなく個性の差

 個人的な感覚ですが、私は短文のブログが写真型で長文のブログが動画型だと思っています。細かく説明するまでもなく、短く一瞬を切り取るか、長く前後を含めるかの違いです。

 恐らくですが、写真家と映像作家は被写体に対する考え方や捉え方が大きく異なるのだと思っています。物事を見る時の時間軸の違いと言いますか、そういったものです。

 これは歴史に対する感覚に近いと考えています。現代史が専門の人からすれば日露戦争は遥か昔の出来事ですが、近現代史からすれば少し前の出来事であり、古代史からすれば最近の出来事です。そして地質学からすればそもそも峻別するほどの時間ですらありません。

 あるいはもっと単純に時間を例とするならば、若者の述べる「最近」老人の述べる「最近」明らかに異なる時間であることと同じです。

 人はそれぞれ自分の判断基準となる物差しを持っているものであり、時間の物差しは人それぞれ違う、ただそれだけの話です。この差異は優劣ではなく捉え方の違いに過ぎず、もっと単純に言えば個性や特性の差です。

 

結言

 何はともあれ、文字数の多寡は正直なところ趣味の世界です。少なくとも優越で語られることではないと思います。短くても良し、長くても良しです。仕事で文字数が決まっているならともかく、個人ブログであれば自由な長さで自己表現を楽しむことが最適でしょう。

 

 ちなみに、この記事を書き始めた当初は「今回は1000文字以内で短くキッチリとまとめてみようかな」と意気込んでおりましたが、いつも通り当たり前の如くこの記事も1000文字を超えました。私には短文は向いていないようです、はい。

 この文章は日露戦争が最近の出来事だと思っている、古代史が趣味の人間が書きました。