世の中のありとあらゆる、までは言い過ぎですが、大抵の事柄には本音と建て前が存在します。
腹芸が苦手なこともあり、私自身は本音と建て前を好んで使い分けませんし使い分けることもできません。上手く使いこなせる人は素直に凄いと思っています。
そんな本音と建て前をきっかけに、少し話を進めてみましょう。
物事の適量
摂取すると昏睡に至る危険な物質も上手く適量を使いこなせば麻酔薬となるように、本音と建て前は薬と毒のようなものです。適量であれば角を立てずに物事を円滑に進めることができ、度が過ぎれば信頼関係を阻害する毒となります。
だからこそ本音と建て前を過剰に忌避することは望ましいことではなく、同様に本音と建前へ頼り切るのも損失が大きいものです。必要な時に自らが使いこなせるだけの本音と建て前を活用することが肝要かと思います。
通常有害であっても役立つものの例として嘘があります。嘘は基本的に悪いことですが、時には必要な嘘も存在することは否定しきれません。
逆に科学者や医者のような専門家の言葉は通常有益であり信頼して頼るべきものですが、それは無批判で鵜呑みにすればいいことを意味しません。
からかいやイジりも適量が極めて重要です。テレビに出ている芸人のように他者をからかったりイジったりすると適量を誤ってイジメやハラスメントになりかねません。素人は安易な気持ちで他者をからかったりイジったりすべきではないと思います。
もっと単純に例示していきましょう。
愛が無い人間は寂しいものですが、過剰な愛は身を亡ぼすこともあります。時には冷酷さが必要でしょう。
勇気の無い人間はチャンスを掴めませんが、過剰な勇気は蛮勇です。時には臆病であることも必要です。
努力は有るに越したことのないもので、しかし過剰であれば心身を摩耗します。時には怠惰があると休息になります。
有るほうが良いとされる美点も過剰であれば悪徳となりかねないものであり、無い方が良いとされる欠点も少量であれば利得となり得るものです。
結言
物事の是々非々を考える際は0-1のデジタルではなくアナログで考えること。
何事も適量があり、過剰な忌避或いは歓待の片側に寄り過ぎず両論を理解した上でバランスを保つこと。
適量とは時と場合、そして自らの度量に依存すること。
これらを理解していると日々が軽くなり生きやすいのではないかと考えます。
何事も過ぎたるは猶及ばざるが如しであり、過剰摂取は良くないものです。
何度も記事にしてくどいようですが、私は中道・中観を好み、極端を避けたがる人間です。
余談(腹芸が苦手な人)
私「皆で入力しているこの集計Excelなんだけどさ、どうにもファイルサイズが重いし入力は手間が掛かるし誤入力の検出や修正に時間が掛かっているよね」
私「そこでこれをこんな感じで改良すると、だいぶ業務効率の改善になると思うんだ。改良案のメリットとデメリットをまとめてみたから読んでみて。メリットのほうが多そうだよね」
私「この改善案を君にあげるよ。上司に相談して改良すれば、仕事に対する積極性や改善意識をアピールできるよ」
表面上は業務改善案を後輩に譲る良い先輩、のように見えて、その実態は作業の手間を後輩に押し付ける悪い先輩です。
でも私は正直でもありますので、ちゃんとネタ晴らしをします。
私「正直に言うと、手を加える時間が無いから頼みたいんだよね。皆で使っているExcelファイルだからこれを改良すれば改善意識の積極性を皆にアピールできると思うからさ、忙しいところ悪いけど手の空いた時でいいからやって欲しいんだ」
後輩「まあ、僕にも利得はありそうですね、ありがたく受け取っておきます」
正直者、というよりも腹芸が苦手なだけです。