忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

清潔感の許容範囲と「当たり前品質」

 

 ゆるーい話をしましょう。

 最近ゆるーい話の記事が多くなっていますが、ヘヴィなテーマを考えていないわけではありません。一応思考回路はいつも通り正常です。

 ただ、単純にそっちの方向を書くとなんだかネガティブというか面白くない話をしてしまいそうなので、意識的にゆるーい話で間を保ちたい気分なのです。

 なので、ゆるーい話をしましょう。

 

清潔の個人差

 5月に東京へ越してきて以降ほぼ毎日、街探索を兼ねてGoogleMapアプリを片手に飲食店を探して外食をしている。趣味の一種だと言えば出費は許容範囲に収まるだろうが、実に贅沢で気楽な浪費だと言えるだろう。

 なお私はGoogleMapの口コミ情報を後から読む。飲食店に入ってさっと30秒以内にオーダーを告げた後、料理が提供されるまでの間に読んでいる。本来口コミとは先に読んで店を選ぶために使うものなのだろうが、私はあまり人の意見を参考にはしないタイプの自由人であり、そして飲食物は好き嫌いがある以上他者の見解はあまり参考にならないとまで信仰している。つまりなんとなくで読んでいるに過ぎず、あまり意味のある行為ではない。

 

 先日入った飲食店は、俗に言う大衆食堂だった。

 駅から徒歩3分の好立地。座席はカウンターのみ。堂に入った年配の男性が一人で回している小さな店だ。

 適当に座席を選んで年季の入った品書きを手に取ると、思った以上に湿った感触。恐らく油だろう、手がべたつく。率直に言えばあまり清潔感は無い。

 これは外れかと少し不安になるものの、取り揃えられた定食類は豊富だ。なに、恐れることはない。私は好物の唐揚げを主軸とした定食を注文した。

 

 店主が愛想よく注文を受け取ったのを見届けた後、常の流れに従ってGoogleMapの口コミ欄を開く。

 評価は、よく言えば賛否両論だ。

 食事の質については概ね高評価を得ているようだが、多くのコメンターは店の清潔さについても同時に言及していた。大別すると意見は半々で、「清潔感は無いが料理は美味しい」と「料理は美味しいが清潔感が無い」だ。清潔感の無さが半数の評価を下げていることは間違いないだろう。

 実際、少し眺めてみただけでも明らかに清掃が行き届いていないことが顕著に分かる。醤油さしは品書きと同様に油の付着が目立つ。冷蔵設備は外装が錆びついており年季だけが汚れの原因ではないだろう。カウンターの隅には埃が積層されており、顧客の飲食範囲以外はそもそも清掃されていないことが伺える。

 率直に言えばあまり清潔では無い、という域を少し飛び越えている。口さがない言い回しとなってしまうが不潔の域にすら入る。

 

 清潔さは飲食物の好みと同様に人それぞれで許容できる範囲が大きく異なるものの一種だろう。そして飲食店は口に入るモノを取り扱っている以上、その閾値はより厳しく見られる。

 また清潔感は飲食店にとって欠かせない「当たり前品質」の一つであり、過剰な清潔さが顧客の誘因となることはそうそうないが清潔さの欠如は顧客の喪失に直結する。口コミで清潔感に言及されるのは相当なことであり、この店は残念ながら多数の許容閾値を超えてしまっているのだろう。

 私個人は比較的寛容な質であり、不潔を好むわけではないが清潔ではなくとも許容できる。ただ、そんな私でも不潔の域に入ると感じる以上、清潔を好む人からすればこの店は当たり前品質を欠いており選択肢に入らなくなるだろう。

 なんとも惜しいことだ。

 

結言

 ちなみに料理は美味しかったです。

 それだけに、再訪しようとは積極的に思えない清潔感の無い店舗の状況が実に惜しいと思いました。

 飲食店に限らず、様々な「当たり前品質」は直接要求として言語化されない割にユーザーや消費者の意思決定に強く影響をもたらすものです。ビジネスにおいて提供側が常に意識して忘れてはいけないことだと思います。

 

 

余談

 ゆるく3,4店くらいの感想を書こうと思ったら1店で文字数がそこそこいってしまいました。オチも特にない感想ですので、今回はこの辺りで〆ておきます。