忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

欲求に基づいた仕組み作りをすれば継続は容易

 自認としては三日坊主な人間だと思っていたのですが、もしかすると継続は得意分野なのかもしれません。

 

毎日続けていること

 今継続していることと言えば、とりあえずまずはこのブログです。今のところ3年以上毎日の更新を継続できています。さほど労力を割いてもおらず特に凝ったブログを運営しているわけではないにせよ、おそらく継続できているほうだと言えるでしょう。

 次に散歩です。引っ越し後は歩数をアプリで確認するようにしてみたところ、この一ヶ月は毎日一万歩以上の散歩を継続できていました。

 

 話は逸れますが、一日一万歩の健康効果に関しては色々と研究と議論があるものの、個人的にキリがいいので一万歩を採用しています。

 この手の研究と議論は因果の証明が困難なため自分の好きに解釈すればいいと思っています。例えば「一日八千歩」を最適とする研究は65歳以上の高齢者の方を対象とした研究結果ですので万人に適用できないと思われますし、「歩数が多いほど死亡率は低下する」と示した研究はそもそも健康だから長距離を歩くことができるだけかもしれず、歩けば健康になるとした因果は証明されていません。最終的な因果は証明し難い以上、個人の責任の範疇で好きに運動をすればいいと思っています。

 

 閑話休題。

 今年度から始めた英単語アプリも今のところ約2か月間の学習を毎日継続できています。

 ちなみに読書もKindleアプリの記録を見ると1年以上毎日起動した履歴が残っていました。

 他に続けていることと言えば食事睡眠です。実は毎日続けています。

 

 最後の二つはジョークですが、ある意味で継続の本質的なところでもあります。

 

継続の仕組み

 物事を継続する駆動力、継続の仕組みにはいくつか種類があります。それは例えばモチベーション・報酬・上位者の強制などなどです。

 このうち、モチベーションだけでは物事を継続することはできません。誰しも全力疾走を長時間はできないように、モチベーションは瞬発的な駆動力に過ぎず必ずどこかで枯渇するためです。

 報酬にも限度があります。生物の本能は快楽の獲得よりも苦痛の回避を優先するものであり、継続の苦痛が度を過ぎればそれを超える報酬が用意できなくなるためです。

 強制は効果的ではあります。親の監視や上司の高圧的な命令によって物事を継続することは可能です。ただ、それはあまりポジティブな継続ではないでしょう。

 

 それに対して欲求を駆動力とした場合、物事の継続は容易です。

 これは食事や睡眠が分かりやすく、モチベーションや強制が無くともほとんどの人は食事や睡眠を自主的に継続しています。単純に、肉体がそれを欲するためです。この継続には苦痛は存在しないどころか反対に継続しないことこそが苦痛を生みます。

 この理屈を転用して、物事を継続したいのであれば欲求に沿った仕組みを作ることが最適だと私は考えます。モチベーションや報酬、強制に依存することなく「それをやることが欲求」になるような物理的な状態を作るか、あるいは心理的な変革をするだけです。そうすれば食事や睡眠のように自然体で物事を継続することができます。

 

欲求を構築する

 これを率直に言えば自己暗示です。「それをすると嬉しい」「それをしなければ辛い」と思えるようになれば継続は容易です。

 大抵の人には欲求に基づいた何らかの趣味を持っていると思いますが、欲求の回路は繰り返しによって強くなるものであり、欲求は先天的なものではなく後天的に自らが心の中に生み出したものです。

 同様に、継続したい物事を後天的な自らの欲求とするのは実のところ難しいことではありません。

 

結言

 モチベーション駆動型の人は高いモチベーションを継続すること自体を欲求としている、ある意味でかなり特殊な人です。普通の人はそのようにモチベーションを維持し続けるような欲求を持っていませんし、実際にモチベーションを維持し続けることもできません。

 普通の人が物事を継続したいのであれば、モチベーションや強制に依存した仕組みを設計するのではなく欲求に沿った仕組み作りをすることが効果的だと考えます。