忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

リーダーに対して個人的に求めていること

 

 リーダーとは指導者や先導者と訳すことができる言葉で、つまりは読んで字の如くleadする人です。

 現実的にはマネージャー・コーチャー・モチベーターなどの役割を求められることもありますが、本質的には行き先を示して先頭を進むことだけが求められます。

 なぜリーダーに様々な役割が兼業で求められがちであるかと言えば、それは単純に人々をリードするに足る何かしらが必要なためです。

 ただ行き先を示して先頭を行くだけでは誰も付いてきてはくれません。その人へ付いていくことに合理的な意味がある、その人であれば付いていきたい魅力がある、その人へ付いていかざるを得ない、どのような動機であれ人々を先導するためにはそれに足る何かしら、言い換えればその人へ付いていくことへの信頼感や安心感の醸成が必要です。

 つまり人々を先導する行為は事前のチームビルディングを前提としていることからそのために必要な機能であるマネージャー・コーチャー・モチベーターなどの役割をリーダーは兼業することが時に求められます。

 もちろん分業は可能です。それに足る何かしらを別の誰かが用意したって構いません。リーダーの仕事は旗を振って行き先を示し、率先して進むだけですので、優れたフォロワーが居ればリーダーはそれ以外のことを他者に委託しても問題ありません。

 

 ちなみに余談ですが、様々な組織はこれをシステマチックに行っています。

 例えば軍隊は指揮官と参謀に機能を分離し、指揮官はリーダーとしての役割を果たし、それ以外の細々としたマネジメントや立案は参謀が行っています。他にも官僚的機構を持った組織、それこそ官庁や民間企業の多くは意図的にフォロワーシップを機能させる仕組みを持っているものです。

 

個人的に重視する素質

 前述したようにリーダーには人々をリードするに足る何かしらが求められますが、実際のところ人々が求めるものは多種多様であり、全てを与えられるリーダーなどまず現実には存在しません。

 よってリーダーは自らが発揮できる資質に沿ったフォロワーを集めることが適切ですし、人々も自らの求めるものを提供できるリーダーを選ぶことが必要です。

 

 私が個人的にリーダーへ求めるもの、それは「責任を負うこと」です。

 それさえ示してもらえればその人へ付いていくことに合理的な意味があると私は考えます。

 

 前提として、組織に属する人間は責任を嫌います。

 これは前例主義的ではありますがある程度合理的でもあります。組織からすれば損失や失敗は避けるべきものであり、今まで失敗していなければこれからも失敗しない蓋然性が高いだろうと判断するのは多少なりとも妥当なためです。

 よって組織はどうしても無傷の人を上に持ち上げます。それが責任を負った上で無傷なのか、あるいは責任を回避した結果の無傷であったかは残念ながら判断が付かない以上問われません。

 よって組織は上に行けば行くほど「責任を回避して他者へ押し付けた人間」が混在するものであり、組織の上層部には「責任を軽くしよう、あわよくば他者に責任を押し付けよう」とする動機が生じます。こればかりは構造的な問題でどうにもならないことです。

 

 つまり何も意識をしなければ組織人は責任を回避しようと考えることが自然です。

 もちろんそれは人間の本能的なものでもあります。誰だって責任は回避して無傷で過ごしたいと考えるものです。

 しかし逆に考えれば、自ら責任を負うことを志向する人はそれだけ上に立つことの意味、人々を先導するリーダーとしての役割を理性的なり本能的なりに捉えていることの表れだと私は考えています。

 そういったことを適切に捉えられている人であれば私は信頼できますし、安心して付いていくことができます。

 

結言

 つまるところ、他者を強く引っ張り上げる猪突猛進タイプのリーダーはあまり私の好みではありません。

 もちろんそういった人が好まれる風土や文化もあることは分かりますし、リーダーの行動としてはそれも正しい仕草です。ただ、私からすればそれは責任を負うかどうかを担保するものではないと考えています。少なくともその手の群には、いざ落とし穴へ嵌った際に自らの責任を認めないタイプの猪が混在しています。

 

 ロープクライミングで例えてみましょう。

 リーダーはルートを示し、先行して岩場や崖を登っていくことが仕事です。

 その際にロープを引っ張って引き上げてくれるようなリーダー像を好む人もいるでしょう。ただ、私自身は自らの能力にある程度自信を持っているタイプの人間ですので、引っ張り上げてもらうことは求めません。それよりは私が足を踏み外した時でもロープを確保してくれることを望みます。トラブル時にリーダーがロープを手放す可能性があるのでは安心して性能を発揮できませんので、いざという時にロープをしっかりと握る意志、すなわち責任を負う姿勢をリーダーには求めます。

 もっと率直に言えば、問題が生じた際に問題解決の最適解を模索するのではなく自らの責任を軽減することが意思決定の軸になる人は好みません。責任を負うことがリーダーの必須要素ではなく、だからこそ責任を負う姿勢を示すリーダーを私は信頼します

 もちろん私がリーダーをする場合はそのようなリーダーであれるよう努力しているつもりです。