世の中には「理想の為ならば犠牲は致し方ない」と考える方がいらっしゃいます。
厭味ったらしい話をしてみますが、そういった人は五族協和や大東亜共栄圏のことはどう思っているのでしょう?あれも民族の協調や国家間の助け合いなどなどお題目として言っていることは理想的で綺麗だったと思います。現実はさておき。
「理想の為ならば犠牲は致し方ない」と考える人があれを肯定するとその理想の末路についても思いを馳せなければならないでしょうし、あれを否定すると「理想の為ならば犠牲は致し方ない」とした理念も同時に否定せねばならないでしょう。あっちは駄目だがこっちの理想は正しいと跳ね除けるのであればダブルスタンダードです。
どうにも、厭味な疑問です。
理想と夢想
そもそも「理想」とは何かをもっと明確に定義することから始めましょう。
理想とは辞書的に言えば「考えられるうちで最高の状態のこと」を意味する言葉です。また「理性によって考えうる最も完全な状態」であるともされます。
つまりはまさしく文字通り、物事の理(ことわり)に関連した概念が理想です。
よく「理想」は「現実」の対比として用いられますが、「理性によって考えうる最も完全な状態」の定義が示す通り理想とは世の道理に沿って目指されるものであり、実際には対義的な言葉ではなく理想は現実との地続きに存在しています。
現実からかけ離れていて、達成の道筋も不明瞭で、具体性も実現の当てもない想像は理想ではなく、悪く言えば妄想、良く言っても夢想です。
理想と夢想は明確に峻別すべき概念です。
俗に言う理想主義はほとんどの場合が理想とは異なり現実からかけ離れた夢想を語るものであり、それは理想主義ではなく夢想主義とでも呼んだほうが妥当でしょう。
真に理想主義を体現する人とは、夢を語るどころかそういった不確定要素を徹底的に排除して現実を積み上げて高みを目指していく人です。
分かりやすくダイエットを事例に考えてみましょう。
具体的な行動もせずに痩せたいとだけ考えている人、「ああ、痩せたいなぁ」と口にするだけの人は典型的な夢想家です。
「よし、痩せよう」と実際に運動や食事制限など行動へ移す人は現実主義者と言えます。
パーソナルトレーナーと契約してトレーニングや栄養管理を厳密に実施するような人が正しく理想主義者です。そこには夢幻の如き甘い言葉が付け入る隙も無く、むしろ堅牢な現実を打破するための強固な意志と行動の力で満ち溢れています。
理想への誤解
冒頭で厭味な話題を出しましたが、五族協和や大東亜共栄圏のスローガンはある意味で典型的な夢想です。語った綺麗事を実現するための資源も実力も無く、結果へ至れなかったのですから。
同様に、「理想の為ならば犠牲は致し方ない」とする考えもほとんどの場合で夢想に過ぎません。現実にはそのための犠牲として捧げられようとする人々の抵抗によって目的の達成が困難になるだけです。対立相手を説き伏せるための努力も利害を調整するだけの労力も払うつもりがない怠惰の証に他ならず、理想の名に値しない夢想だと言えます。
結言
私自身は強固な現実主義者であるためか、前向きで行動的で立派な理想主義者に憧憬を持っているのかもしれません。だからこそ「理想」という言葉がまるで非現実的な夢想のように語られることを悲しいと感じます。
実際に理想のために現実へ現実的に立ち向かい邁進する人はとても素晴らしく尊重されるだけの価値があるものであり、それは行動が伴わず口だけの人とは厳格に峻別されて然るべきだと考えます。