忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

絶対的平和主義は信念ではなく論理に頼るべきではなかろうか

 

 あまりにも重いテーマだが、この時期には向き合わねばならないと思う。

 

平和主義の類型

 平和主義(Pacifism)には主に2つの形態があります。

 一つはありとあらゆる暴力を否定する絶対的平和主義(absolute pacifism)、もう一つは防衛の範囲に限定して暴力の行使を認める条件付平和主義(conditional pacifism)です。

 異なる表現を用いるならば、前者はリベラリズムに基づく非武装中立を理想とし、後者はリアリズムによる抑止や武装防衛を認めています。

 

 私個人としてはどちらかと言えば後者寄りです。少なくとも前者のPacifismとは少し異なる見解を持っています。

 私は仕組みやシステムを考えることがお仕事の技術畑に生きていますのでもう少し物質的な発想で物事を考えています。

 そのため、そもそも戦争を「賛成/反対」で区分することすら得心がいっていないくらいです。戦争はそういったアクティブな行動に類するものではなく、もっとパッシブな出来事(happening/event)だと思っています。

 

 それは例えば製品の不具合や故障のようなものです。

 製造業で働く人間にとって不具合や故障は「賛成/反対」で括る意味が無く、当然かつ絶対的に発生を防ぎたい出来事です。しかし「不具合反対!」「故障反対!」と言ったからとて何かが変わるわけでもなく、私たちはどうやって不具合を防ぐか、如何にして故障の発生を抑止するかを具体的に考える必要があると考えます。

 戦争が外交の失敗から生じるのだとすれば、まさにそれは不具合や故障と類似した出来事に他ならないのではないでしょうか。そう考えることから戦争とは「どうやって発生を防ぐべきか」を考慮すべき現象であり「賛成/反対」で括るものではないと、技術者の端くれである私は思っています。

 

絶対的平和主義への批判

 絶対的平和主義に対してはアメリカの無政府主義者(アナキスト)であるPeter Gelderloosが痛烈な批判を論じています。

How Nonviolence Protects the State | The Anarchist Library

 

 私は絶対的平和主義にも無政府主義にもそこまで同調していない身ではありますが、この批判自体は辛辣であるものの鋭いと考えていますので、いくつか提示してみましょう。

 例えば彼は非暴力の主張を極めて差別的だと批判しています。

 何故ならば、暴力がすでに存在していること、暴力が現在の社会階層の不可避かつ構造的に不可欠な部分であること、そしてその暴力の影響を最も受けているのは弱者であることを無視しているためです。現実世界で非暴力を甘受できるのは暴力的なヒエラルキーの加害者と受益者に対してのみであり、非暴力を語れる人は本質的に不条理なほど特権的な立場なのだと批判しています。

 これはかなり厳しい指摘です。少なくとも現在のパレスチナでイスラエル軍からの暴力に晒されている人々へ対して非暴力を訴えるような人がいれば、それは著しく暴力から隔離された安全な場所にいる特権階級の戯言だと取られることでしょう。

 もちろんこれに対してはエリート主義の文脈で肯定することが可能かもしれません。著者のGelderloosは著名なアナーキストであり社会の階級性自体に批判的な立場ですが、優れたエリートによる支配を肯定する思想であればこのような差別は肯定されるでしょう。その是非はここでは問わないものとします。

 

 また、彼は非暴力を戦略的に劣っており本当の戦略立案から逃げていると考えています。暴力も非暴力も手段であり、達すべき目的に対して適切な戦略を選ぶ苦労を避けてオプションを自ら制限していることへの批判です。

 同時に非暴力を謳う平和主義者は欺瞞的だとも語っています。

 平和主義者は往々にして自らの立場を論理的に擁護するよりも自らを正義の人だと特徴づけることを好んでおり、それを献身的で規律のある道としてそれ以外を安易な逃げ道だと定義しているが、実際はより具体的に戦略を模索して現実に正対する立場の人と比べて遥かに安楽な道を歩んでいる、そういった批判です。

 これは状況によって適合する場合とそうでない場合があるでしょう。ガンジーのように暴力へ晒された状況の中でも非暴力を訴える人と、前述されたように暴力から隔絶された特権的立場の人が語るのでは意味が異なるでしょうから。

 

 彼は他にもいくつかの観点で批判を行っています。非暴力の絶対的平和主義は家父長的で、国家主義的で、効果がない、そういった見解です。

 全面同意しがたい内容が多いですしそもそも英語の長文なので紹介しにくいですが、一読の価値はあるかと思います。

How Nonviolence Protects the State | The Anarchist Library

 

結言

 絶対的平和主義に属する人は恐らく善人が多いと思いますので、あまり批判的に扱うつもりはありません。また私は先に紹介したGelderloosほど批判的な見解を持っているわけでもありません。

 それでも絶対的平和主義こそが絶対善だとする発想は残念ながら批判されて然るべきであり、同時に絶対的平和主義者は論理的な反論を行うべきだと私は思っています。

 自らの思想こそが絶対善だとする発想は、異なる思想を絶対悪だと反転しなければ成り立たないものです。それは必然的に排他的な特性を有することになります。それこそ「戦争反対でなければ戦争賛成なんだな!」といった風にです。これは論理的に正しくありません。

 異論が許されない信念はドグマと同義であり、その思想の陥る先はカルト的宗教と同じです。せめて「これは理想論ではあるが、私はそう信仰したい」と相対的な立場へ移行できれば良いのですが。

 

 

余談

 戦争や軍事の話を取り扱う際に度々述べてきたことですが、私は信念・イデオロギー・主義主張としての「平和主義」を守るのではなく、実際的な「平和」を守ることが重要だと考えています。