忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

情状酌量が適用されるタイミング

 

 最近、凄く久しぶりにSNSでロシア・ウクライナ戦争の陰謀論に関する言説を見かけました。「ロシアは悪でウクライナが善だと思っているのは西側の情報に騙されている」的な、ネオナチやらノヴォロシアやらのあれです。近頃はあまり見かけなくなっていたので新鮮に感じます。

 

 今回はそんな言説を切っ掛けに、動機に対して忖度することについて考えてみましょう。

 

動機と行動の区分

 言わずもがなではありますが、ロシア国営放送の言い分を信じようが西側メディアの言い分を信じようが、互いがどんなプロパガンダなり自分たちなりの理屈を語っていたとしてもそんなことは特に重要ではありません、それらはむしろノイズです

 現時点でフォーカスすべきは動機や背景事情ではなく行動です

 ロシアが批判されているのは動機や背景事情に対してではなく軍事行動に出たことなのですから。

 

 いじめられっ子がいじめっ子への仕返しとして暴力を振るっていたとしても、まずは暴力自体が問題となります。動機や背景事情は結果として相殺されるものであり、暴力の免罪符とはなりません。「殴られている子はいじめっ子だからそのまま殴り続けても問題無し!」なんてなるわけはなく、まずは暴力を止めて、その後にいじめっ子といじめられっ子の間で適切な正義を為すことが妥当な流れというものです。

 そもそもロシアは大国でありいじめっ子側なのですがそれはさておき。

 つまりどのような事情があるとロシア側が主張していようとも、あるいはロシアの言い分が事実なのだとしても、それは戦争によって他国の領土を侵略することを正当化するものとはなりません。

 

 まあ率直に言えば、ネオナチやら分離運動が云々などを語られましても最初の戦略目標にキーウを設定して機甲師団を送り込んだ時点で論理が崩壊しているとは個人的には思っていますが。係争地ではなく首都を狙ったら、それはもう侵略以外の何物でもありませんし言い訳しようがないでしょうと。

 ただ、そういった理屈は全てさて置いたとしても、軍事侵攻をして領土を侵略している現実がある以上、まずはロシアの行動が問題視されるのは論を俟たないでしょう。

 

結言

 もしもロシアに情状酌量に値する何かしらの事情や理由があるのだとしても、それが適用されるタイミングは戦後の軍事裁判です。今現在も続いている軍事侵攻を許容する理由にはなりません。今の時点でのロシアの善悪やらウクライナの善悪なんてどうでもいい話です。

 国連憲章の2条4項において「武力による威嚇又は武力の行使」は禁止されているのですから、どんな目的や動機があろうと手段として武力を行使したことは批判されます。軍事侵攻自体が悪と定義されている以上、その悪を行使しているロシアが批判されることは妥当以外の何物でもないでしょう。

 たとえ本当にロシア国営放送が垂れ流している言い分が正しいのだとしても、情状酌量が認定されるのは少なくとも戦時中の今ではありません

 

 もっと簡単に言えば、目的は手段を正当化しない、それだけの話です。

 

 

余談

 過去にも記事にしたことがありますが、ロシアの軍事侵攻によって編入されたクリミア半島は今、世界でワースト10に入る不自由な地域となっています。

 その点一つ取っても、ロシアへ肩入れする気には個人的になれないです。