今回は特にデータの無い、想像を話していきます。
たぶん恐らく
ここ最近、古いネットスラングですが「ネットde真実」的なことが一部の界隈で話題になっています。俗に言う「Youtubeで真実を知った」です。
古いスラングがあるようにインターネット上の情報を妄信してしまう状態は以前から問題だとされていましたが、昨今ではネットがアングラではなくなり誰もがアクセスするようになったことから、Youtubeなどを経由して「ネットde真実」に辿り着いてしまう人が増えたことが懸念されているのでしょう。
ただ、まあ、個人的な感想ではありますが、そういった人が割合として増えているといった懸念はあまり持っていなかったりします。
多分ですけど、「YouTubeで真実を知った」と言っている層は、「テレビが言っているんだから間違いない」と同じ層だと思っていますので。総数が増えたのではなく、そういった層が細分化されただけではないかと考えています。
情報リテラシー
「テレビが言っているんだから間違いない」と言ってテレビで紹介された健康食品を買い漁りにスーパーへ殺到する人は昔からたくさん居たように、入手した情報を絶対視する層はネットの発展以前から常に一定数います。
要するに情報リテラシーが少し不得手な方々です。
とはいえ情報リテラシーは難しいものです。「情報リテラシー」一つ取ってもその意味を正しく捉えるためには情報リテラシーが必要です。
例えば情報リテラシーをグーグルで検索すると一番上にはWikipediaが出てきます。
そしてWikipediaでは情報リテラシーのページ冒頭で「情報を自己の目的に適合するように使用できる能力」と定義しています。
ただ、これだけでは情報が不足しています。情報リテラシー(Information Literacy)は元々海外で生まれた概念ですので、正しく理解するためには元の定義も参照しておかねばなりません。
アメリカで公的に定義されているInformation Literacyは以下の通りです。
recognize when information is needed and have the ability to locate, evaluate, and use effectively the needed information.
訳すと、「必要な情報を認識し、その情報を見つけ、評価し、効果的に活用する能力を持つこと」です。
日本語Wikipediaの冒頭で定義されている「情報を自己の目的に適合するように使用できる能力」とは少し趣が違うことが分かるでしょう。
情報リテラシーとはただ情報を活用する能力だけでなく、どのような情報が必要かをまず認識する能力、その情報を見つける能力、そして情報を適切に評価する能力も含まれます。情報リテラシーとは情報の取扱いにおけるかなり全般的な技能です。
一応日本語wikipediaの「情報リテラシー」にもちゃんと読めば同様のことが記載されていますが、いずれにせよ情報リテラシーを理解するためにはある程度情報を収集して読み込むことが前提となります。
今回の例であれば、まず「情報リテラシー」に関する正しい情報が必要だと認識することも情報リテラシーには含まれます。
そしてこの取っ掛かり部分こそが情報リテラシーの難しいところです。
情報リテラシーの重要性自体は人口に膾炙しているものの、「ではその情報リテラシーとは何ぞや」といった注意を払うためにはやはり訓練や意識付けが不可欠で、それが無ければ情報リテラシーに欠けたまま曖昧な「情報リテラシー」の定義を受け入れてしまうでしょう。
それは残念ながら情報リテラシーに欠けた姿勢だと言わざるを得ません。
結言
「テレビが言っているんだから間違いない」「Youtubeで真実を知った」と言っている層は、つまるところ同根です。得た情報を精査することが不得手である以前に、その情報を精査することへの認識がそもそも無いこと、つまり必要な情報を認識することが不得手なのだと言えます。
これは情報リテラシー(Information Literacy)が正しく不足している状態です。
同根である以上、恐らくその層は被っているのではないかと私は思っています。昔は「テレビが言っているんだから間違いない」と言っていた人の一部が、今は「Youtubeで真実を知った」と言っているだけではないかと。
だからそこまで心配する必要はないとも言えますし、まだテレビの情報を妄信していたほうがマシだから改善が必要だとも言えるかもしれませんが、そこはまた各論ありそうですので今回は言及を控えておくことにします。