イデオロギーと科学は噛み合わない。
イデオロギーと科学
イデオロギーとは、難しい言い回しをすると観念形態と呼ばれるもので、大雑把に言えば政治・道徳・宗教・哲学に属する思想信条を指す言葉です。
イデオロギーと科学は常に水と油です。
科学的方法とは要約すれば観察と合理と一般化に基づくものであり、天啓、政治的・宗教的教義、伝統、信念、常識、そういった手段に対して距離を置くものです。
もっと率直に言えば、科学とはイデオロギーに属する概念を完全に除外したものを指します。
よってイデオロギーと科学は必然的に両立しえないものとなります。イデオロギーの関与を受けた科学は、科学を名乗っていようとも科学の皮を被った偽物です。
イデオロギーと科学の混在による問題は現代でも数多存在していますが、ソ連における科学弾圧を例とすることが分かりやすいでしょう。
ソ連では科学的方法に基づいた観察と理論、すなわち現実の事実に基づくかどうかではなく、弁証法的唯物論やマルクス・レーニン主義、もっと言えば党の意向に沿っているかどうかで科学の正誤が定まりました。
例として、生物学では当時主流となりつつあったダーウィニズムやメンデルの遺伝学による自然淘汰の理論をマルクス・レーニン主義の階級闘争理論と合致しないことを理由に拒絶しました。さらには党の意向に反するとして西洋遺伝学を学んだ多くの学者が粛清の憂き目に合った結果、生物学において西洋の後塵を拝する結果となったことは周知の事実です。
同様の理論に基づき、ソ連では科学的方法に基づいているかではなくイデオロギー的に正しいかが重視されることとなり、数多の学問や科学が衰退する結果となりました。
このように、科学とは科学的方法に基づいたものだけが科学であり、イデオロギーによって方法論が変化すると科学は科学の形態を保てません。これらは混ぜ合わせることのできない、そして混ぜ合わせてはいけない水と油だと言えます。
イデオロギー的に不適切な言及
あまり言及したいトピックではありませんが、現代の事例も一つ挙げてみましょう。
以下は先日報道されたニュースです。
Walmart’s DEI rollback signals a profound shift in the wake of Trump’s election victoryWalmart’s DEI rollback signals a profound shift in the wake of Trump’s election victory(ウォルマートのDEI(多様性、公平性、包括性)撤廃は、トランプ当選後の重大な変化を示唆している)
◆Walmart's DEI rollback signals profound shift in wake of Trump victory | AP News
理解の補助線として、DEI(多様性、公平性、包括性)を推進することは道徳的・倫理的であるとした指針がまずあり、それを後押しするようにマッキンゼーなどのコンサルティング会社が「DEIを推進することは企業の業績改善に繋がる」とした研究結果を出した後、DEIに基づいた採用や昇進を行うことは科学的にも正しいとして様々な企業が推進するプログラムを構築してきた経緯があります。
しかしそれが逆差別に繋がっているのではないかとした懸念や訴訟事例が相次いでアメリカで沸き起こっていることから、ウォルマートが法的リスクを回避するためにDEIプログラムの撤廃を発表した、そういった流れです。
この流れにおける科学的なポイント、すなわち「DEIを推進することは企業の業績改善に繋がる」かどうかは重要です。この点が正であればDEIの推進は合理的な科学に基づくものとなり、この点が偽であればDEIの推進はイデオロギーに属するものとなります。
そして残念ながら、現時点において「DEIを推進することは企業の業績改善に繋がる」とした結論を導き出せるほどの科学はありません。企業の人口統計学的特性に基づいた多様性と企業の業績に一定の相関を示す研究結果はありますが、その因果を証明した研究結果は存在しないためです。マッキンゼーの論文も様々な反証が公表されており、極論、「業績の優れる企業はDEIに力を入れるだけの余裕がある」とした逆の因果が存在する可能性すらあります。
よって「DEIを推進することは企業の業績改善に繋がる」ことは科学的に正しいとした見解は、きつい言い方となりますが疑似科学に属するものです。
多様性の推進を否定したいわけではありません。
そもそも企業のような永続性を前提とした営利団体には思考の多様性が重要であり、ダーウィニズム的な見解からしても変化に適応できる集団こそが生存に適しているわけで、そのために構成員のバラエティを高めることには大いに賛同します。
ただ、人口統計学的特性に基づいた多様性の効力は因果が証明されていない以上、少なくとも科学的であると装うべきではないと考えています。
道徳的・倫理的基準とはつまりイデオロギーに他ならず、それは少なくとも科学的ではありません。
結言
イデオロギーと科学のどちらが上かを論ずるのはまた難しい話ですが、私は可能であれば科学を優先したいと考えています。道徳・倫理は時代や地域によって変化しやすいものであり、科学はそれに比べれば変化し難いものだからです。
よって公共の物事を決める際には科学を用いることがより公正だと私は考えています。
この「より公正であることが望ましい」と考えることもまたイデオロギーであり、難しいところではありますが。
なお、SNSなどでよく見かける論争の多くもこのイデオロギーと科学の対立であったりします。この視点で見ると論点が整理しやすくなるのでおススメです。
歴史を学ぶ限り、私個人としてはルイセンコ主義には同意し難いと思っています。イデオロギーで科学を歪めると、望ましい未来に至れることはなさそうです。