見ない選択。
怒りの増幅器
SNSを筆頭に、何かしらへ日々怒っている人をどこでも見かけます。
これは別にSNSに限定した話ではなく、飲食店やコンビニなどでも見かけることがあるように、どこにでもそういった人は居るものです。
SNSでの怒りが目立つのは単純で、目につきやすいからに他なりません。
北海道に住んでいる人が沖縄のスーパーで店員さんに怒っている人の存在を目視しようがないように、本来は物理的な距離が遮っていた無数の怒りが、距離の制約を乗り越えて拡散していってしまうのがインターネットであり、SNSです。
そして人は他者の怒りに触れると闘争・逃走本能に基づき攻撃的になります。
つまり言ってしまえばSNSとは怒りの増幅器です。誰かの攻撃性が連鎖して大勢の攻撃性を誘発してしまいます。
それは、原理的に仕方がないことですが、あまり健全ではないシステムだと思っています。
世間の前に自分自身を救うべき
この問題の解決方法は実に単純であり、昔から言われているように「知らぬが仏」です。
他者の攻撃性に感化されないようにするには他者の攻撃性から距離を置くことが最も有効です。見なければいいだけの話であり、実に簡単なことでしょう。
ネットは拡散性が非常に強いツールですが、逆に言えば回避することも可能なツールです。
スーパーのレジで並んでいる時にキレ散らかす人が目の前に居たらどうにも避けようがないのに対して、ネットでキレ散らかしている人に対しては、端からそういった界隈の情報を避けたりそういった人をブロックすることを選択できます。
ですので、知らぬが仏です。
怒り、もっと言えば闘争状態とは生物本来の状態ではありません。アドレナリンのような脳内麻薬を分泌してでも一時的にやらねばならない緊急事態が闘争であり、普段から闘争状態を乱発していると生物の体は持ちません。健康のためにも、不要な怒りからは適度に距離を置いた方がいいかと思われます。
SNSでの怒りは特にそうです。
世のためやら悪を糾弾するためやら、そういった装飾された名目はいくらでもSNS上に転がっており、そのような建前を持って集団で怒りを振り回す行為は娯楽じみた楽しみがあるのかもしれません。何かしらを悪に仕立て上げることは実に簡単で、それに対して怒りの声を上げることもお手軽です。
ただ、それは当人の健康を阻害します。前述したように怒りは体に良いものではないためです。
世のため人のためと思う前に、まずは自身を救うことを考えたほうがいいかと思います。自分ひとり救えない人が、世間を救えるはずはないのですから。
結言
最近は仕事でメンタルがダウン気味ではありますが、その分SNSにはまったく触れる時間が無いためか、他者の怒りを見ないで済んでいるのでその点では気が楽です。