良い好奇心と悪い好奇心。
好奇心と本能
好奇心は大なり小なり誰にでも備わっている機能です。人に限らず類人猿や犬猫、げっ歯類や鳥など他の動物も好奇心を持っていることが分かっています。
好奇心はそれが満たされることで脳の報酬系によって喜びが得られることから、年齢や経験によって感受先は変化するものの好奇心は常に存在し続けます。
好奇心を説明する理論はいくつかありますが、とりあえずはシンプルに本能的なものだと考えてよいでしょう。
生物は「不確実で曖昧」なモノや状態を嫌います。生命の維持を第一目標とする生物の本能にとって、安全かどうか分からないモノや危険な状態は望ましくないためです。
そのため脳の報酬系は好奇心によって新たな情報を獲得し物事や状況の不確実さを低減する行為を喜ばしいものだと判定します。
以上より、好奇心を満たす行動は脳機能からすれば良いことです。また好奇心は人格の形成や修身にとっても適切なモチベーションとして役立ちます。
ただ、好奇心は本能的には良いものですが社会的に良いものではない場合もあることに注意が必要です。
良い好奇心と悪い好奇心
好奇心は大きく分けると二種類、より本能的な知覚的好奇心と知識欲としての認識論的好奇心があります。前者は感覚的な刺激などへの「注意・興味」に属する好奇心であり、後者は「学習・理解」に属する好奇心です。
例えるのが少し難しいですが、例えば交通事故を見かけて「お、なんだなんだ」と気になる気持ちが知覚的好奇心、交通事故が何故発生してどういう類型がありどうすれば減らせるかなどを情報収集して考えたくなる気持ちが認識論的好奇心です。
ちょっとラフ過ぎる言い換えですし正確ではありませんが、前者は「野次馬根性」で、後者は「知的好奇心」となります。
野次馬根性も立派な好奇心の一種ではあります。
ただ、物見高さを基に面白半分に騒ぎ立てることで世論を乱したり、それこそ事故現場で人だかりを形成することで救出を阻害したり、スマホで撮影することで被害者のプライバシーを侵害したりといったことを引き起こしかねないため、野次馬根性は概ね浅はかなものであるとされます。これは悪い好奇心です。
対して知的好奇心は内向きの好奇心であり健全な成長や建設的な理解を生み出すことから良い好奇心だとされます。
好奇心は社会的にも良いものとされがちですが、悪い好奇心もあることには留意が必要です。
野次馬の群れ
率直に言ってしまいますが、SNSは野次馬の群れです。
事故や事件が起きるとゾロゾロと集まってくるほどに世の中には野次馬が多いものですが、それが世界規模でゼロ距離になったものがSNSだと思えばいいでしょう。
SNSが野次馬を生み出しているのではなく、野次馬の集まる場所がSNSになっただけです。
SNSは知的好奇心を満たすには向いていませんが、野次馬根性は非常にお手軽に満たせます。なにせ各所で揉め事が頻発していますし、わざわざ家を出ずとも布団で寝っ転がりながら現場を見ることができます。外野から騒ぎ立てることも容易ですし、プライバシーの侵害だって簡単です。
これらは好奇心に基づいた行動であり、そしてその好奇心は悪い好奇心です。
当人には一過性の娯楽をもたらすものの成長には役立ちませんし、周囲に迷惑を掛けることが多々ありますので、たとえ本能的なものであってもなるべく表出しないよう努力したほうが良いかと思います。
結言
好奇心それ自体は良いものだと世間的には認識されていると思いますが、実際の好奇心は必ずしも美徳とは限りません。好奇心が美徳となるのはその好奇心に基づいて良い行いをした場合だけです。
「好奇心は猫をも殺す」ではありませんが、時に抑制が必要となります。