気付けばこの記事で1400日連続投稿となりました。
1年を365日と設定すると約3.8年間続けた計算となります。1年を1400日に設定すると1年間です。まったくもって意味の無い計算ですが。
3.8年とは、なんとも長いような短いような微妙な期間だと思います。三日坊主の466倍と言えばそれなりに多く見えるかもしれません。数字とは不思議なものです。
ちなみに、1400日連続であることに直前で気付いたため、慌てて記事をでっちあげているところです。準備不足が否めないどころか準備すらしていません。この記事がどこへ着地するかは不明です。冒頭の意味不明トークからも分かるように、すでに迷子になりつつあります。
重要なのは「それ以外」
このブログはなぜか不思議なことに連綿と続いていますが、実はそこまで不思議なことではありません。物事を継続するなんて簡単なことです。
誰もが毎日睡眠を継続していますし、食事だって継続しています。それは時に難しい時があれども、大抵の人は容易に継続することができているでしょう。
継続に必要なのは意志の力ではなく欲求の力です。やらなければと気を張るより、やりたいと思う気持ちを持つこと、そのほうがよほど気楽かつ自然体で物事を続けることができます。
ブログの継続も簡単です。書かねばならぬと強く己を律するのではなく、書きたいことをたくさん思い浮かべるだけで後は勝手に継続できます。書きたいから書く状態こそが継続の理想形です。
むしろ難しいのは欲求を満たすための時間の捻出でしょう。さすがに食事や睡眠と比べればブログは優先順位が下がりますので、何かしらを継続するのであればその何かしらに注力するよりも他の必要な欲求をちゃんと安定して満たせるようにすることのほうが重要だと思います。
物事を継続するならばそれ以外の時間をちゃんとこなすこと、それが健全な継続方法です。身を削って時間を捻出するような状態は持続可能ではありません。
欲求の制御
このブログで私は仏教的観点からどちらかと言えば欲求の抑制を謳ってきましたが、もっと厳密に言えば欲求の制御こそが重要です。
欲求は生物の原動力です。欲があるからこそ人は突き進むことができます。欲求を無くすことは現実的ではなく、その苦行の先に辿り着くのは「空」ではなく「無」に他なりません。
欲求の無い人間はなんとも虚ろなものでしょう。エンジンを取り外してしまっては車は動かないように、欲求を無くそうとするのは誤った発想です。むしろ正しく欲求を取り扱うハンドリングとペダルワークこそが着眼すべきポイントとなります。
すなわち欲求の制御とは、内的な欲求を抑えつけて存在しないものと扱うことではなく、外部へ出すときに気を遣うことです。欲求を消し去るのではなく表し方に注意することであり、己や他者に迷惑を掛けない範囲で出力すれば欲求は有効で有益なものとなります。
欲求ほど上手く取り扱えば人生の役に立ち、不適切に取り扱えば人生を破滅させるものは他にありません。
ですので、しっかりとハンドルを握り、適宜アクセルとブレーキを使い分け、ちゃんと前を見て上手く制御していきましょう。
結言
私は思考欲とでも呼ぶべき嗜好があります。のべつまくなしに何かしらを考えるのが好きな思考中毒です。
この欲求を上手く制御しないと、それこそSNSで謎説教をして回る迷惑おじさんに成り果てかねません。ブログで上手く思考と欲求を発散することがきっと最適解だと思っています。ブログを継続しているのは、そんな感じの欲求が根底にあるのでしょう。