感情的にはまったくもって共感できないけども理屈的には有り得る話を記事に起こしていたのですが、思ったよりもメンタルを削られたので途中でストップします。
その記事の投稿は後日にしましょう。
『多数派から感情的に同意を得にくい話』は、書いていて少し疲れます。
当ブログでは『異なる側面での物事の見方』を提供するための記事を時々書いていますので、多数派の感情とは異なることを言及することもあります。それは何も他所様の見方を批判したり世間に対して逆張りをしたいわけではなく、私がただ中庸を好み複数の側面で物事を見る癖のあるだけです。
そのような時は人様の逆鱗へむやみやたらと触れないようなるべくマイルドな表現を用いるために色々と言葉を選ぶ必要があるので、意外と頭を使うのです。
よって今日は休憩がてら、雑談の実験をします。
常連
月に1、2度ほど行くカレー屋があります。チェーン店ではないカレー専門店で、個人的にはとても好きな味をしています。
常連というほどではないものの微妙に店員さんから顔を覚えられたらしく、近頃は食後の挨拶が「ありがとうございました」から「いつもありがとうございます」に変わったかと思えば、先日はいよいよ食券を受け取った時の定型質問「白米と雑穀米、どちらにしますか?」が「白米で宜しいですね?」になりました。
そのうち私が入店した段階でチキンを揚げ出すかもしれません。
なにせ私はいつも白米のチキンカレーしか頼んでいないので。
好きなんです、このお店のチキンカレー。
そう言えば、学生時代にラーメン屋でアルバイトをしていた頃、いつも決まった時間に決まったメニューを注文するお客さんが居たのを思い出しました。その人の車が駐車場に見えた時点で店長が麺を茹で始めていたので覚えています。本当にいつも同じメニューしか注文しない人でした。私もそんなタイプの人なので、ちょっと親近感がわきます。
終わりです。オチはありません。
職業差別や排斥が理解できない
子どもの頃から「糊口」や「たつき」という表現が好きです。
父は仕事ばかりであまり子育てに関与するタイプの人ではありませんでしたが、時折思い出したように「とにかく大人になったら定職へ就くこと」「自立し、自律すること」「自分で口に糊をすること」「借金はしないこと」とした教えを私に語りました。
雑なまとめではありますが「子どもが将来困らないよう、飯を食わせて狩りの仕方を教えるのが親父の仕事」と考えていたのだと思います。なんというか、昭和の男です。悪い意味ではなくただの事実として。
「糊口を凌ぐ」やら「たつきを立てる」やら、子どもにはやたらと難しい表現をしてくるのでむしろ記憶に残ったものです。今なんとか日々生活できているのもそういった父母の尽力あってこそですので、「おかげさま」を感じます。
このように「生計を立てる」ことを重視するように躾けられてきたせいか、時折見かける安易な職業差別や排斥が理解できない節があります。
それは例えば「そんな仕事はいらない」とか「この仕事が悪い」とかの、仕事そのものやそれに従事する人々への攻撃的な言論です。
人は金を稼ぎ飯を食わねば生きていけません。人様の飯の種を攻撃する行為は、言った当人は気軽な感覚なのかもしれませんが、言われる側からすれば生命に対する攻撃だとすら受け取れる、それくらいに強烈な攻撃です。
ラッダイト運動しかり、福祉予算の削減案が市民の反発を生じることしかり、人は金や仕事を奪われそうになると猛烈な反発をするようにできています。そういった反発はまさに「生計を立てる」ことの重大さが命に直結しているためです。
もっと率直に言えば、人の金や仕事を奪いかねない表現や言葉は「お前を殺す」くらい強いものですので、迂闊に用いないよう相当に気を付けねばなりません。
だからこそ、そういった表現を安易に用いる人が私には今一つ理解しがたいです。金や飯に困ったことのないお貴族様なのかもしれませんが、なんともはや。
結言
雑談として緩い話と重めの話を同時にしてみました。
熱力学の法則に従い熱平衡によってちょうどいい温度感になるかと思いましたが、どちらかというとヒートショックの心配をした方が良さそうな気がします。