幸福を感じることは実のところ難しくない、と私は雑に思っています。
何もかもが満ち足りていても不幸を感じる人もいれば、何もかもが不足していても幸福を感じる人もいるように、人は状況ではなく思考で幸福か不幸を感じるのですから、頭の中を足し算的に幸福で満たすか、引き算的に不幸を減らしていけば自然と幸福になるのではないでしょうか。
「話半分」の意図的な誤用
もちろんまったく不幸を感じないことは現実的ではありませんので、目標は5割キープです。5割は幸福なことで頭を埋めておき、残りを状況に応じて可変とする。そうすれば急な不幸を感じてもダンパーとして機能しますし、不幸で頭が埋め尽くされることもなくなるでしょう。
話半分、というと明らかに語弊というか誤用ですが、現状に対する思考なんて半分でいいんです。残り半分はハッピーで埋めておいたってまったく問題ありません。
ふとした不幸な状況に相対した時に思考が100%そこに割かれてしまっていると頭の中が不幸100%になってしまいます。目の前で起きた状況に対する思考は常に話半分にしておけば、適度な幸福を維持できるでしょう。
叱責をものともしない「怒られている時に夕飯のことを考えている」類の人が世の中にはいますが、あれはとても合理的で妥当だったりします。直面していること以外を思考することは決して悪いことではなく、むしろ視野狭窄を避けるためには必須技術です。
真面目な人は直面した現状に100%意識を注ぎ込むことが真面目だと思い込みがちですが、それは真面目ではなくむしろただの視野狭窄に過ぎません。真に現実と直面するのであれば幅広い視野と現在に囚われない時空間的視野を持つことが必要です。
今この瞬間なんて本当に一瞬の僅かなものであり、そこに囚われるのは誤った思考法です。言い方を変えれば、自身の幸福に対する真面目さに欠けています。真面目さという善徳を生かしてもっと真面目に自分のウェルビーイングを考えなければなりません。
微積分
マインドフルネス的な思考法、すなわち「今この瞬間に注目する」ことは重要です。
しかしそれは今この瞬間に囚われろという意味では決してありません。過去の不幸な出来事や未来への心配など今この瞬間以外に囚われず、今この瞬間だけに着目する技術であり、今この瞬間以外を全て無視しろと言っているわけではないのですから。
マインドフルネスの目的はウェルビーイングの改善です。今現在に注目することは手段に過ぎず、それに囚われてはいけません。
要するに、マインドフルネスは微積分です。
今この瞬間とは微小な単位時間で切り取った微分であり、人生とはその微小時間が無数に積み重なった積分です。時に短く切り取り、時に長く積層し、最も自身の幸福に繋がるよう数理的処理をすることにこそ価値があります。
マインドフルネスによって時間を切り取る微分的手法を身に着けたその後は、自らが幸福だと思えるところだけを上手く切り取って積分的に積み上げること、或いは不幸を切り取って除外すること、それこそが幸福への最適な道となるでしょう。
結言
私はそもそも原理的な仏教を好む質ですので、「苦しみは苦しいと思うから生じる、苦しいと思わなければ苦しくない」くらいのある意味マッチョな思考方法ですが、真にそこへ辿り着くためには悟りが必要です。
そこまで悟れる人はたぶん一握りですので、私のような一般人は上手いこと幸福を足し算して不幸を引き算するような考え方を持つのが良いかと思います。