忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

何もしなければピンチはピンチのまま

 

 何もしなければピンチはピンチのままです。

 そんな当たり前の話をしましょう。

 

変化に対応するための変化

 アインシュタインが言ったとされる「狂気とは即ち、同じ事を繰り返し行い、違う結果を期待すること」は多少有名な言葉です。まあこの手の名言によくあるパターンとしてこの言葉は実際にはアインシュタインが言ったわけではないと判明しているようですが、それはさておき。

 もちろん同じ行動を繰り返していても外部環境の変化によって異なる結果へと至ることもありますが、大抵の場合は同じ行動を繰り返せば同じ結果が出力されます。異なる結果を求めるのならば異なる行動を取らなければなりません。

 

 組織や個人は行動を変化させるよりも行動の継続を優先的に選択します。特にそれが問題のない状況や上手くいっているのであればなおさらです。生物は本能的に安定した「同じ事を繰り返し行い、同じ結果を期待すること」を最も好みます。

 よって「同じ結果を期待して同じ事を繰り返し行っていたら、ある日突然上手くいかなくなる」ことがピンチの基本パターンです。急激な外部環境の変化などによって同じことをしていても同じ結果が出なくなります。

 その時に「外部環境が再度変化してまた元通りになる」と期待して前動続行を繰り返すのは当然ながら愚策です。それは「同じ事を繰り返し行い、違う結果を期待すること」であり狂気に他なりません。外部環境が変化したらフィードバックして行動も変化させなければならず、能動的な適応こそが適切な生存戦略であることは論を俟たないでしょう。

 そのまま何もせずに同じ行動を繰り返せばピンチはピンチのままです。行動を変化させる人や集団だけがピンチをチャンスに変える権利を得られます

 

アンテナは内外に

 当然ながら変化のためには外部環境の移り変わりを検知する必要があります。

 あえて言えば、真に外部を完璧に検出していれば急な外部環境の変化に襲われることもなくそもそもピンチに陥らないものですが、そこまでのセンサーは無くとも変化自体は最低限検出する必要があります。

 また、意味を考えずに前動続行している人や集団は外部環境の変化に追従することはできません。自分たちの行動がどのように外部と作用しているかを知っていなければどう変化させればいいかが分からずに即座の変化ができないためです。ある系の処理がブラックボックス化していては入力に対する出力を予測できないように、まずはファンクションたる己を知っていることが効果的な変化の最低条件となります。

 

 要するに、変化をするならば内外にアンテナを張り巡らせている必要があります。外部環境の変化によってピンチが訪れるのだとしても、外部だけにアンテナを立てるのでは不足です。その変化へ追従するためには事前に内部へもアンテナを張り巡らせておく必要があります。

 

結言

 長々と冗長に話してきましたが、一言で言えば「彼を知り己を知れば百戦殆からず」です。