忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

根性論を是としたいのか非としたいのか、都合良く使い分けたいのか

 

 週に何度も出張があると、さすがに生活リズムが乱れて困ります。

 ブログの毎日更新はそもそも生活がある程度安定していなければ成し得ない趣味だと思うばかりです。

 まあ、それでも書くのですが。

 

仕事と趣味の線引き

 ブログの毎日更新。

 これが仕事であれば「時間が無いからできない」と真顔で答えるところですが、これは趣味ですので「時間が無いというのは言い訳に過ぎない」とやたらマッチョなことを言い出してみます。

 気合と根性とやる気さえあれば、毎日多少の文章を書いてブログを更新する程度の作業に時間を作れないはずはありません。

 現実には本当に時間が無い時だってありますので根性論に過ぎないのですが。

 

 「時間が無いというのは言い訳に過ぎない」と本気で言う人は、「三か月掛かる経年変化試験を今から始めて三日間で結果を出せ」と言われて本当に「時間が無い」と言わないのか、気になります。

 なお、私は言われたことがあるので、時と場合であることは重々承知の上でこの言葉は根性論だと確信を持っています

 

「無理させて 無理をするなと 無理を言う」

 もう少し丁寧な話をすれば、この手の根性論は自身に用いる場合と他者に用いる場合で意味合いが変わると考えています。過去にも記事で書いたような気がしますが、再度考えをまとめてみましょう。

 自身に用いる根性論は、それが自虐的であれ自罰的であれ自らを奮起させるために用いられるものであり、その是非を他者が問う必要はありません。それが必要な人はそれを用いればいいですし、それを不要と思う人はそれを用いなければいいだけです。

 そして根性論によってもたらされる不屈や忍耐は人が持つ美徳であり、自らに美徳を強いる行為はそれだけで価値を持ちます。

 他者に用いる根性論は、その意味合いが逆転します。他者を奮起させるために用いられる言説は、その是非を他者から問われて当然です。それが適切な場合と不適切な場合は行為者ではなく他者によって定められます。

 そして他者の不屈や忍耐を求める行為、他者に美徳を強いる行為は少なくとも美徳ではなく、むしろ傲慢や強欲といった悪徳の親戚です。

 

 要するに、自らに対する根性論は時に美徳であり、他者に対する根性論は常に悪徳です。悪徳が役に立つこともありますので根性論を他者へ適用することを完全に否定できるわけではありませんが、少なくとも自らが悪徳を為しているのだとした認識は行為者に必要かと思います。

 

結言

 何が言いたいのかと言えば、自らに課す根性論ならば時に役立つものだとした話で、とりあえず趣味も仕事も根性でなんとか乗り切りたいところです。

 海外出張に出発する時期が近付いてきているので、そろそろ無理な気はしていますが。