変な思考をする日。
神と動物と人間
「人は動物と神のどちらかに近いか」なんて疑問があるように、神様と動物、そして人間の三種を分けて考えることは一般的かと思います。
両端に動物と神が配置された直線があったとして、人は何処に配置されるか、どちらに近いかを考えてみましょう。
【動物】―――――――――――――――【神】
私は動物と人間を同じところに配置します。
【動物・人間】――――――――――――【神】
人によっては別のところに配置するパターンもあるでしょう。神様寄りだと考える人もいれば、人こそが神だと思っている人もいるかもしれません。
【動物】―――――【人間】――――――【神】
【動物】―――――――――【人間】――【神】
【動物】――――――――――――【人間・神】
ただ、よくよく考えてみるとこの設問の枠組み自体が非常に誘導的です。
この質問には次のような前提があります。
■自然(Natural)の象徴たる【動物】と人為(Artificial)を司る【人間】は対比的な関係である
■【動物】は【神】と異なる存在であり、上下の関係である
すなわち設問自体に「人は動物よりも高尚か」「人は動物のように下等か」といった上下の価値判断が内包されています。
しかしながら神とは何かを考えるとこの前提はそこまで妥当ではないような気がするかもしれません。
一神教のGodは宇宙・生命・自然を支配する存在であり、多神教のgodsはそれこそ自然現象そのものです。つまり【神】も自然(Natural)であり、少なくとも人為(Artificial)とはかけ離れた存在となります。
また、動物は神様の使いとしても扱われることがあり、動物と神は自然の側にいます。
つまり、この設問における前提条件である【動物】と【神】の間自体が恣意的な枠組みです。実際には人間だけがもっと別のところにいるのかもしれません。
【人間】―――――【動物】――――――【神】
【人間】―――――――――――【動物】【神】
これは人間が動物よりも下等であることを意味するわけではなく、もう一つの前提である上下の価値基準自体が無意味であることを示唆していると私は考えます。
自然(Natural)の象徴たる【動物】【神】と人為(Artificial)を司る【人間】は対比的な関係ではありますが、わざわざ上下で判定する必要は無く、対等であっても良いのではないでしょうか。
結言
人為(Artificial)を突き詰めていく学者が急に神の存在を確信するのは、距離が離れて全貌が見えるようになるからではないか、なんてくだらないことを考えることが趣味です。要するにただの暇人です。
何はともあれ、私としては「人間は動物よりも高等な存在だ」と傲慢に考えたり「人間は動物に劣る下等な生き物だ」と卑下したりする必要はなく、フラットに見てもいいのではないかと思っています。