報連相。
それは社会人の基礎スキル的ポジションであり、時に厳しく指導され、時に無意味だと批判されるように毀誉褒貶ありつつも、ある意味で奥義とも言えるビジネスコミュニケーション技能です。
まあ報連相はツール・フレームワークに過ぎず、銀の弾丸ではありません。形だけでは特に意味のあるものではなく、その良し悪しは誰がどう使うか次第だと思っています。
今回は今更語るようなことではないことを、あえて私自身の理解整理のために言語化して出力します。
双方向性では双方に責任がある
コミュニケーションは言うなればキャッチボールです。どれだけピッチャーが上手かろうともキャッチャーがポンコツであればどうにもならないように、投げる側も受け取る側もしっかりしていなければ機能せずに無駄になり、双方が巧者であれば有益なものとなります。
報連相も同様に、どれだけ巧みに報告する部下がいても上司のキャッチが拙ければ上手く機能せず、その逆も真です。
改まって言うほどのことでもなく、とても単純な話でしょう。コミュニケーションとは根本的に双方向性なのですから、その巧拙に対しては双方に責任があります。
疎通
語彙や表現の統一、相互の関心や自己開示などなど、コミュニケーションを良好に行うための様々な方法論が世間で多数語られていますが、円滑なコミュニケーションを『意思疎通』と表現するように、個人的には”疎通”の言葉が示す通り情報の伝達通路に滞りが無いことが大切だと思っています。
適切な報連相には意思疎通が不可欠です。
”疎通”を今風に言えば、心理的安全性が確保されている状態と言えばいいでしょうか。妨げなく滞りなく通じることが疎通であり、通り道に罠や地雷が埋め込まれていては誰も疎通できません。
よって上司は罠や地雷を適切に排除して部下が報連相を行いやすい環境づくりに腐心する必要があります。それは手間ではありますが、悪い報告が滞って後々巨大な爆弾が爆発するような事態へ発展することを思えばまだマシな労苦です。
そしてもちろんこれは上司側だけでなく部下側にも心掛けが必要です。今どきの上司はコンプラ研修やハラスメント研修をギュウギュウに詰め込まれていてさながら地雷原を生きています。部下自身からセーフティーゾーンを示してあげることが円滑な報連相には必要です。
そういった研修が無かったり上司がまったく気にしていない組織の場合は?
それは報連相以前の話です。
結言
つまるところ、報連相それ自体の是非を問うてもあまり意味はありません。
報連相が機能していない場合は報連相それ自体に問題があるのではなく、もっと根本的なコミュニケーション不全を生み出している個人や組織の体質が問題です。「報連相は意味が無いからやらない」と言う意見が出るような時は、その意味を無くすほど集団の情報伝達回路が機能していないこと自体を問題視する必要があります。
むしろ報連相が機能しているかどうかがある意味で集団のコミュニケーションが良好であるかを識別するリトマス試験紙になりますので、報連相はいつでも有益だとすら言えるかもしれません。
余談
意思疎通の『疎通』も良い表現ですが、円滑なコミュニケーションの『円滑』も良い言葉だと思います。角があってザラついた人とは円滑なコミュニケーションを取りようがありません。丸く、滑らかに生きたほうが世は事も無しです。アサーションで生きましょう。