信念と争いは不可分。
信念の良し悪し
一般に、信念は[良いもの/必要なもの/重要なもの]だと考えられることが多いかと思われます。人生の困難へ立ち向かい前進するために信念は役立ちますし、人は信念に則った一貫性のある行動を好むものです。信念はリーダーシップの一要因であるとも言えます。
ただ、信念、すなわち「それが正しいと堅く信じ込んでいる心」は必ずしもポジティブな結果だけをもたらすわけではありません。実際には信念を持つことそれ自体が「良い」「悪い」で区分されるものではなく、信念の中身こそが重要です。
同じように信念を持った人がいたとしても、その信念の中身次第で結果は大きく異なります。
信念のために他者が傷つくことを厭わない人は迷惑ですし、一貫性のある行動は裏を返せば頑迷固陋とも取れます。異教徒を打ち滅ぼす信仰者は固い信念を持っているでしょうし、陰謀論を信じる人だって同様です。
義務論的に「信念を持つことそれ自体が尊い」とするのであれば、そういった信念の弊害すらも受け入れなければなりません。それよりは帰結主義的に「信念によってもたらされた結果こそが重要だ」と考えたほうが現実へ適合するでしょう。
人権・政治・信念
人権とは「すべての人間が生まれながらに持つ、人間としての尊厳に基づいた固有の権利」ですが、持っていることと守られることには乖離があります。万人の万人に対する闘争となる自然状態では個々人が人権を持っていてもその侵害を防ぐことはできません。
それぞれの権利を適切に調整する行為を政治と言います。すなわち人権とは適切な政治環境があって初めて守られる権利です。国家は良い例で、国家は人権を守るための人類が持つ最大規模の政治的集団です。国家は他の集団との政治交渉を代表して行い国民の人権が守られるように機能します。
国家が人権を付与するわけではありませんが、しかし国家が無ければ人権は守られ難くあります。いずれより大きな政治的集団が構築される未来があるかもしれませんが、現時点では国家が最大です。
このように人権と政治は不可分の関係にありますが、ここに信念が加わると話がややこしくなります。
政治と信念は水と油です。時に政治団体や政治家が強い信念を誇示することがありますが、『政治とは、可能なことを実現する技術であり、次善の策を見極める芸術である』とした政治の本質からすれば妥協を許さない信念は極めて非政治的です。信念は曲げられないからこそ信念であり、そこには対話による解決や交渉による妥協が入り込む余地がありません。
そして多少飛躍した三段論法になりますが、「人権と政治は不可分」であり「政治と信念は折り合いが付かない」ことは、「人権と信念の間にも不適合が生じる」ことを意味します。
率直に表現すれば、「信念のために他者の人権を蹂躙することは許されるか」です。信念に重きを置く人はこれを是とするでしょうし、人権を重視する人はこれを非とするでしょう。
私は後者の人間ですので他者の人権を蹂躙するような争いに至るようであれば信念なんてものは曲げてしまえばいいと思っていますが、それを良しとしない人がいることも分かります。
こればかりは価値観の問題ですので折り合いが付かない話であり、人権の概念が人界に生じて以降、今しばらくはなんとも議題となりそうです。
結言
私としては、信念は絶対的にポジティブな概念ではなく、むしろ時には信念よりも重視すべきものがあると考えています。
もちろんこれは私の信念ではありませんので、異論があれば曲げて見せましょう。