忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

「忙しさ」の捉え方

 

 いつものように社会派風味で語りたいテーマはストックしているのですが、書く余裕がありません。

 

ここはブログなのだ

 「忙しい」と言うべきではないとした社会人の法則は私も重々理解しています。

 「忙しい」と他者へ語ることは基本的にポジティブとはなり得ず、むしろ余裕の無さや協調性に欠けるネガティブな印象を他者へ与える結果となります。

 また時間管理能力、自己管理能力が欠如していると取られるリスクもありますし、それによってチャンスを失うことにも繋がりかねません。

 そもそも「忙しい」と口にすることは集中力やリソースがそちらに向いてしまって心理プレッシャーを自己実現させます。これは言霊的なものではなく実際的なものです。

 少なくともビジネスの環境において「忙しい」はプラスの効果をもたらさない以上、あまり口にすべき言葉ではないでしょう。

 

 私も勤務時間中には「忙しい」なんて口にしません。頼まれごとや新しい仕事だってスケジュール調整をしつつ受け入れます。次から次へと仕事が積み重なっていくので忙しさは延々と続きますが、少なくともオーバーフローして崩壊しない程度にはギリギリバランスを取れている状況です。

 「忙しい」と口にしなくたって状況の管制は可能です。「今のところ今月は他の案件でまったく動けないので来月着手でいいでしょうか」と調整する行為だって遠回しに「忙しい」と言っているようなものではありますが、少なくとも僅かばかりはポジティブな印象を与えることでしょう。

 

 ただ、まあ、それでも「忙しい」ことには変わりありません。言い方を工夫するにしても物理的な負荷が変わるわけではありませんので、ストレスを感じるようであればそれを減ずる方策も不可欠です。

 「忙しい」と周囲へ口にして仕事そのものを減らすこともある意味では根本的な解決方法でしょう。多忙であることがストレッサーなのですから、ストレッサーそれ自体に手を打つことは正着だと言えます。

 それが出来ない立場であったりそうしたくないのであれば、感じているストレスをどうにかコントロールする他ありませんので、仕事外の場で忙しいことを口にしたり何かしら別のストレス発散法を取ることが良いでしょう。

 

 つまりは、まあ、このブログはその一環として現在機能しています。

 趣味のブログで思考や状況を整理しつつ「忙しい」と口にすることも、一種のストレス解消法です。

 

結言

 実際のところ、ある程度の達観は必要ですが「忙しい」ことは「悪いこと」ではないわけです。忙しさで心身を壊してしまったり忙しさにかまけて周囲と不協和を生じてしまうような結果が悪いことであり、「忙しい」だけならば適切に管制できていればむしろ「良いこと」に繋がることもあります。

 そのため、適度に溜め込み、適切に吐き出す、そのようにして上手く忙しさと付き合っていくことが必要であり、上手く付き合っていける人が一番健全ではないかと私は考えます。

 それが上手く出来れば誰も苦労はしないのかもしれませんが。