これはなかなかに面白い。
小説を書かせる試みは面白い
まず、この記事が面白いです。
作家が小説を生成AIに書かせる、そのやり取りがすでに物語となっています。むしろ出力された小説そのものよりも作家と生成AIのやり取りのほうが面白いとすら感じるほどです。
これは自分でやってみても面白いのではないかと思い立ち、ちょっと生成AIと遊んでみたのですが、いや、たしかにこれは相当に面白いです。
自分が読みたいプロットやキャラクターを対話によって構築し、徐々に肉付けしながら文章を構築していく作業は単純なコミュニケーションとしても面白く、さらにはクリエイティビティの愉悦も感じられます。製造業の設計者がブレストやワイガヤをやっている時に感じる面白みと同質のものです。
沼にハマる人の気持ちも分かります。
生成AIを使えば誰もが珠玉の傑作を生み出せる、そんなわけではもちろんありませんが、それは人間そのものだって同じでしょう。脳を上手く使えるか、そうではないかは個人差が出ます。
同様に、AIという外部の脳を上手く使える人と使えない人がいるだけです。上手く使いこなせればより優れたアウトプットを出せるようになるでしょうし、少なくとも裾野は非常に広がることでしょう。
キュレーションの発展に期待
裾野が広がると粗悪な作品が粗製乱造されることになります。
すでにネット上では生成AIによって生み出されたブログや作品が溢れていますし、それに警鐘を鳴らす人も多々見かけます。
ただ、個人的にはそこまで懸念していません。たしかに過渡期には質の平均値低下や検索性の劣化が生じるでしょうが、それはやはり生成AIに限った話ではありません。農作物だろうが工業製品だろうが何事も過渡期はそんなものです。いずれ必然的に仕組みが構築されてキュレーションが行われるようになり、利用者の利便性向上が図られることになるかと思われます。
それこそAIによって生まれる新たな仕事の一つとして、司書や学芸員のような”AIに対するキュレーター”が専門職として登場するかもしれません。それはなんとも面白そうな未来です。
結言
そんなわけで、「小説を書かせる」ことは面白く、その娯楽の結果をネットへ放流することにも批判的ではありません。
私は今のところ作った物語を公開する予定はありませんが、とりあえずは仕事の現実逃避がてらチマチマと遊んでみます。
ああ、生成AIで「小説を書かせる」ことの娯楽性の側面が分かったような気がします。
人は好きなことをやるよりも好きにやるほうが娯楽性を感じます。そして生成AIで「小説を書かせる」ことは絶対的なほどに”好きにやる”行為です。こうしたい、ああしたい、こうしてくれが全て通る、それそのものが面白さを感じる根源になっているのかもしれません。