いい加減限界を感じたので、上司と仕事量の調整。来週以降はなんとか土日を休める算段がたちました。
実際はそこまで仕事を手放せず、平日にちょっと非現実的な仕事量を詰め込んだだけで見かけ上は休日が空になっただけではありますが、とりあえず限界であること自体は伝わっているのでヨシとしましょう。仕事を振る先が無いのはこちらも重々承知していますので無理は言いません。
まあ、早々に破綻したらまた調整しましょうそうしましょう。そろそろ狂を発しそうな程度に限界だったので、もはや思い煩うこともありません。そんな悩みすら時間がもったいない。
もはや自動書記ではないかと思うくらい脳みそを使わずに雑談をしていきます。
お家芸
うちの家系は貧乏くじを引きに行きがちな性格をしています。
皆が大変な時は仕事を引き受けがちですし、他人に無理を強いるくらいならば自らが無理をすることを良しとする、進んで前に出るタイプではない割に何故か何らかのリーダーや部活の部長などを他薦で任されてきた経歴を持っています。
良く言えばお人好し、悪く言えばお人好しです。率直に言えば悪癖の一種であるとすら思っています。
遺伝的なものなのか後天的な環境によるものなのかは分かりませんが、それが別にイヤではない辺り筋金入りです。善行を為すこと自体に満足を覚える自己完結型の自己満足タイプであり、自虐的に言えば変態です。
そんな人間は利他的な行為を自身が壊れるまで嬉々として行うため、ちゃんと己でリミッターを用意する必要があります。私はそのへん、なんだかんだギリギリで見極められる質です。壊れて人様に迷惑を掛けることは好みではありません。今回もリミットギリギリでセーブをかけることとしました。そんな流れでの冒頭の陳情です。
なぜギリギリ壊れる直前まで粘るかと言えば、やはりお家芸としか言えません。そういう遺伝子で、そういう育ちですので。
当ブログでも時々述べているように基本的には「皆ハッピー」であることが理想的ではないかと思っていますので、利他的に活動することは単純に好きです。
公正世界仮説のような認知バイアスを心から信じているわけではありませんが、情けは人の為ならずと言うように余裕がある時に人へ施すことでいずれ余裕がない時は人から施しをいただけることは現実的な事象ですし、そういったお互い様の助け合いこそが持続的な社会の安定を生み出すと信じています。
要するに、これはある種の信仰なのでしょう。道理で道理が通っていないわけです。
結言
もちろん余剰以上に献身を吐き出すことを他者に求めてはいけません。それは搾取であり、戒められるべき発想です。
己に強いる試練は美徳であり、他者に強いる試練は悪徳であることを留意する必要があるでしょう。自らが無理をしてでも何かをすることを自らに強いる範囲であればそれは程度問題ですが自由であり、他者に無理を強いる行為は自由の範囲を超えています。
なんの話をしていたかは分かりませんが、こんな結論に落ち着きました。