感情の高まりを抑えて冷静さを保てる距離を取ること。
仲間意識
毀誉褒貶ある言葉の一つに愛郷心や愛国心があります。これらを好む人もいれば、酷く嫌う人もいるでしょう。
換言してしまえば「仲間意識」と言えるこれらは、ある種の本能的感情です。人は社会的動物として群れなければ生存することができなかったため、群れることを好まない人が自然淘汰されてきた結果、人々は強固な仲間意識を持つようになりました。
愛郷心や愛国心を持っていないと自認する人もいますが、それは仲間意識の階層が異なるだけです。家族・サークル・地域社会・国家といった括りに限らず、例えば同じ「人間」として仲間意識を持つ人もいますし、もっと広く「生物」の範囲で仲間意識を持つ人もいます。一切の仲間意識を持たない人は極めて珍しく、大抵は「仲間の範囲」が異なるだけです。
どのような社会システムであろうと社会を維持するためには今なお一定以上の仲間意識が必要になります。何らかの社会構造が維持されなければ人は生きていけない以上、仲間意識は人間にとって必要不可欠な感情だと断定しても過言ではないでしょう。
過度な愛情
仲間意識は一種の愛情です。そして愛情は時に問題を引き起こすのと同様、仲間意識も過剰になると問題を引き起こします。
それは例えば度の過ぎた愛郷心による地域差別、愛国心による排外主義、国家間紛争や人種差別など、仲間意識から生じる仲間以外への迫害は枚挙に暇がありません。過度な仲間意識は実に多くの社会的問題を引き起こしています。
社会の紐帯を維持するために一定は無ければならないが、度が過ぎてはならない、それが仲間意識です。
成熟した愛情
過度な仲間意識への対策として、仲間意識は愛情であるため一般的な愛情と同様に取り扱うことが適切です。
例えば依存先の多様化、言い換えれば多重的な仲間意識を持つよう方向性を付けることが有効です。
「私は家族の一員であり、チームのメンバーでもあり、この土地に住む仲間でもあり、この国の民でもあり、同じ人間でもあり、そして同じ地球市民でもある」
こういった多重的帰属意識を持つように仕向ければ、どれかしらへの過度なアイデンティティの依存を抑えて冷静な距離を保つことができるでしょう。自立とは依存先を持たないことではなく多様な依存先を持つことであり、どれかを損ねても確固たる自己を保てるようになってこそ成熟した愛情を育むことができます。
とはいえ、愛情をコントロールして感情の高ぶりを制御するためには多少なりとも時間が掛かるものです。燃え上っている時に鎮火することは容易ではありませんし、抑えつけようとすればそれらを燃料としてさらに燃え上がることすらあります。成熟した愛郷心・愛国心・仲間意識が社会で醸成されるためにはある程度長い目で見てじっくりと見守る他ありません。
もちろん過渡期に生じる様々な弊害のフォローは不可欠ですが、根本を抑え込むのではなく対処療法に留まることが必要でしょう。
結言
その他にも仲間意識からくる身内贔屓や仲間以外への迫害を抑えるためには「原則的な倫理観を養うこと」「批判的思考を身に付けること」「利他的発想を持つこと」「対話的問題解決を学ぶこと」など色々とやりようはあります。
いずれにしても無理に抑えつけることは逆効果です。とにかく急激な変革をと求めて仲間意識それ自体を問題視してしまうと、社会の紐帯が引き千切られてより大きな問題が生じてしまいます。
成熟には学びと時間が不可欠であり、忍耐と苦労は避けて通れません。