忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

言行一致

 

「耳野くん、例のクライアントから新案件が入ったぞ。ちょっと“耳を貸して”くれ」と足井課長が声を上げると、「はい!」と足井の部下である耳野聞男が元気よく応え、左耳をさっと外して足井の机に置いた。耳はピンと立っていて録音状態だ。なんとBluetoothにも対応している。ノイズキャンセルだってお手の物。
「今日は事前に必要そうな情報を“耳に入れて”おきましたので!」足井が耳を覗き込むと、なるほど、たしかにすぐ使えそうな関連資料が丁寧に折り畳まれて格納されていた。聞男はWeb会議中に耳だけ置いて仕事をするせいでアプリから『発言者不在』と誤認されがちな男だが、さすがに“耳が早い“。

 

足井課長から視線を戻してパソコンに向き直ったところ、聞男は同僚の目配透子が近付いてきていることに気付いた。
「耳野くん、貴方の右耳、第二営業部のコピー機に置き去りじゃない?」
「えっマジ!?透子さん、”目を光らせて”くれて助かります!」
どうもと軽やかにお礼を言って透子は聞男の後ろを通り過ぎる。その左目からは電光のような輝きが走った。青白い光が職場を包み込み、幾人かが目をくらませている。
透子はいつも長髪で右目を隠しているが、その奥に右目は無い。彼女は常に職場へ“目を配って”いて、ホバリングするように漂う右目が空中を巡回している。光彩を放ちながら飛び回る彼女の眼は、社内の忘れ物や共用冷蔵庫にある牛乳の賞味期限まで見逃さない。

 

「なるほどな、こりゃあ、ちょっと“足を伸ばす”ほうが早いかもな」聞男の資料を読みながら足井課長がつぶやいた。
足井伸雄は出張の達人だ。足をグッと伸ばすことで瞬時にクライアントのオフィスまで出張できる。それに驚かないクライアントはいない。靴は特注品で靴下は高速移動が生み出す摩擦熱にも耐えられるが、スラックスは少し破れるのが玉に瑕。交通費の面で経費削減に貢献しており、いつも「今回も予算は“足りた”だろう」とニヤついている。時々“足が出る”と元に戻るまでカフェでコーヒーを飲んで休憩していることもある。

 

一足飛びに出掛けた足井だったが、クライアントを連れて即座に帰ってきた。困惑しているクライアントを足井が会議室へ促している。どうやら事情を伺うために攫ってきたようだ。足井のスーツはもはや修復不能なほどボロボロになっているが、そのことを気に留める様子はない。
「すみません・・・新製品のローンチがどうしても間に合わなくて!助けてください!」
クライアントの大きな声が会議室から響き渡る。聞男が耳をそばだてていると、「どうやら“手が足りない“ようだな」と、向かいに座っている同僚の手回迅が楽しそうに言い、両の手を叩きながら勢いよく席を立った。
手回のデスクは常に整理整頓されているが、それは彼の実務能力の高さを意味する。“手が回らない”なんてことは”手が早い”彼にはあり得ない。彼の手はドリルのように高速で回り、雑務程度であれば一息でこなしてしまう。コピー用紙は宙を舞い、会議資料を三秒で製本し、その風圧は観葉植物すら倒す。ついでに職場の換気までしてしまうのだから恐ろしい男だ。埃が舞うから時々不評だが。

 

会議室から足井課長とクライアントが出てきた瞬間、皆が一斉に動き出す。
耳野「今回の案件、もう“耳に触れて”ありますので!」
目配「現場、すべて“目が届いて”ます」
手回「“手を抜く”なんてことはしませんよ」
足井「必要であれば“足を運び”ますので」
渡された耳を触り、届けられた目と視線を交わし、引き抜かれた手と運び込まれた足に囲まれて唖然とするクライアント。
他の社員たちも次から次へと協力を申し出たため、手に至ってはもう山のように積み重なっている。

クライアントはしばらく沈黙してから、ぽつりとつぶやいた。

「・・・ここまで“手厚く”していただけるとは思いませんでした」