忘れん坊の外部記憶域

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政治家と理想主義―活動家的政治家の危険性

 

 政治とは理想か現実か。

 

活動家と政治家・理想主義と現実主義

 時々議論の対象となるのが「政治家とは理想を語るべきか、現実を語るべきか」です。

 私自身は明確に後者を支持する思想ですが、前者の言い分も分かります。より良い未来を政治的に構築するためには理想主義的な政治家の存在が必要です。現実主義が現状追認主義に堕さないためにも一定量の理想主義は不可欠でしょう。

 

 とはいえ、基本的に理想を語るのは政治家ではなく活動家の仕事です。

 進歩的な理念を構築し人々を啓蒙して現実を批判することは活動家の仕事であり、それは政治家の領分ではありません。政治家の領分は人々や活動家が構築した理念を現実へ落とし込むことです。そしてそれは関係各所との無限とも言える利害調整の末に成り立たせるものであり、イヤになるほど現実的な行為に他なりません。理想に拘泥して現実を差配できない政治家は無用の長物どころか害悪だとすら言えるでしょう。

 よって理想主義とは活動家の領分であり、逆に政治家は現実主義的であるべきだと私は考えています。

 

活動家的政治家のリスク

 理想主義の政治家、言うなれば活動家的政治家は、正直なところ民主主義にとってのリスクです。

 理想・理念を核に突き進もうとする理想主義者は悪く言えば”話し合いの通じない頑固者”であり、それは法理・現実を差配せねばならない政治家として望ましくない性質となります。

 

 もっと露骨に言いましょう。

 あまりイメージの良くない言葉ではありますが、理想主義の活動家とはすなわち扇動者です。

 先に述べたように”進歩的な理念を構築し人々を啓蒙して現実を批判することが活動家の仕事”である以上、活動家が扇動者であることは何も問題ありませんし、扇動者でなければむしろ意味がないでしょう。

 しかし扇動者と政治家の融合はたいへん宜しくありません

 権力を持たない活動家が理念を煽るのとは異なり、権力を持つ人間が何かを扇動する行為は非常に危険な結果をもたらします。それは実際にどれだけ非現実的な理念であっても人々はそれを強制されてしまうためです。

 それこそ、安全な後方から「国家のため」「子孫のため」など誰もが反対しにくい理想を用いて人々を戦争へ駆り立てるような政治家はまさしく活動家的政治家と言うべき存在であり、私たちが忌避しなければならない存在です。政治家の仕事は奇麗事を並べて人々を先導することではなく、公僕として人々に奉仕することが一番でなければなりません。

 

 要するに、理想主義的な政治家、活動家的政治家は集団を誤った道へと突き進ませる政治的扇動者となりかねません。それは理想主義的な政治家が存在することのメリットを覆す大きなデメリットです。

 

結言

 繰り返しとなりますが、政治の世界にも一定の理想は必要であり、理想主義的政治家の存在は不可欠です。

 ただ、そういった人々が大きな権力を握ることになると集団を誤った方向へ導きかねないリスクがあります。

 よって私としては現実主義の政治家を重視する次第です。

 

 

余談

 実際問題、これは答えのない難しい問題です。

 政治家とは利害調整を主とする仕事ですが、与党の政治家にはそれと同時に国家の指導者・リーダーとしての仕事も期待されるためです。

 そしてリーダーには理想を語る能力が必要であり、その延長線として政治家全般にリーダー的役割とそのための理想が必要と認識されます。

 ただ、このリーダーの理想が強力過ぎるとリーダーが扇動者となり、それがさらに悪化すれば独裁的支配者になりかねないため、加減がとても重要です。