多様性を是とするならば、たとえどれだけ認め難い思想を持つ他者がいたとしても、それは良いことだと認識する必要があります。
多様性とは茨の道であり、決して軽く実現できる理想ではありません。
私自身は多様性を是とする人間ですが、だからこそ、その大変さをよくよく考えなければならないと思っています。
思考の統一はすべきでない
残念ながら世の中には異なる見解や思想信条を持つ人を攻撃して排除しようと考える人がいます。
その先にあるのは思考の統一です。誰もが同じように思い、同じように考え、同じように判断するようになれば、コミュニケーションの軋轢は生じなくなります。それは機械的かもしれませんが合理的でしょう。
そして非現実的とも言えます。これは要するに個人の自由意志を完全に廃滅して単一思考へ洗脳を行う類の、言わば非人間的な管理社会への志向です。それがユートピアになるにせよディストピアになるにせよ、いずれにしてもアルカディアとはならないでしょう。
もちろん啓蒙する程度であれば問題はありません。
しかし攻撃をすることは明確に誤りです。
排他的な集団は拡大ではなく縮小となり、必然的に規模と力を減衰させて崩壊しますし、同質性があまりに高い集団は自然淘汰を生き残れないためです。軍隊や警察のように外部から維持して支える構造を持たない集団、例えばカルト団体や排他的な企業はいずれ縮小の袋小路へ陥り集団を保てなくなります。
もっとシンプルに言えば、思考の統一された同質的な集団は思考の更新可能性を失っており、変化に追従できないため滅びます。
よって思考の統一は長期的な持続を目的とした集団の生存戦略として明確に誤っていると断定できます。
多様性の難しさ
多様性(diversity)は昨今強く称揚されている概念の一つです。
本質的には思考の統一と真逆の方向であり、思考の分散とも言えます。
多種多様な属性を内包することは外乱や変革に対応できる可能性を高めて集団の持続性を強固にすることから、現代では有益な志向と考えられています。
ただ、多様性は称揚しさえすれば実現できる安易な道ではありません。
むしろ多様性とは明確に茨の道です。率直に言って、多様性の実現には参加者全員が死ぬほど勉強し尽くすことが不可欠です。
受動的な寛容、例えば異なる文化を持つ人がその文化圏に沿った行動を取ることを受け入れることはそこまで難しくないでしょう。
しかし能動的な寛容、異なる文化を持つ人を寛容で受け入れて何かを与えるためには相手の文化を理解している必要があります。
雑な例えですが、「よく分からないプレゼントを笑顔で受け取ることは難しくないが、相手が喜ぶプレゼントをするためには相手のことを理解する必要がある」ものです。
もちろんどれだけ理解する努力をしたとしても変なプレゼントを贈ってしまうことはありますし、相手もそれを理解した上でよく分からないプレゼントを笑顔で受け取ることが求められます。
しかし互いによく分からないプレゼントを贈り合って作り笑いをする関係は持続不可能です。いずれはちゃんと理解をした上で双方の喜び合えるプレゼントを贈る必要があります。
多様性における無数の属性を理解することは、少し想像しただけでも極めて困難であることが分かるでしょう。単純な文化的多様性ですら、本気で多様性を推し進めるのであればありとあらゆる地域の歴史・言語・宗教・芸術・衣食住・教育・娯楽・制度・身体・精神といった文化的要素を理解する必要があります。これは一人の人間が一生をかけても到底達成できないほどの膨大な知的作業です。
結言
それでもなお、私たちは思考の統一といった安易な道ではなく、この多様性の道を歩まなければなりません。
何故ならば、延々と学び続けて互いの理解を向上させていく『未完成のプロセス』こそが時代に取り残されない真に持続的な集団を体現しているためです。
安定よりも流動、確信よりも疑問、支配よりも対話を基盤とする多様性のプロセスは大変な試みであり、人によっては耐えがたい不安定さと終わりなき知的労働の連続に映るかと思います。誤解や衝突、疲弊や挫折も数多待ち受けているでしょう。
しかしそれでも、歩みゆく価値のある道です。