古代ギリシャにあったアテナイのアゴラでは公開性と参加性の高い民会(エクレシア)が定期的に開催されていました。市民であれば自由に参加することができる民主的な話し合い・議論の場です。
現代のSNSも誰もが発言できる「民主的」な場のはずですが、実際には議論が適切に機能していません。その差異に関して考えてみましょう。
SNSの構造的課題
まず根本的に、SNSは非同期です。そして各人が様々に発言可能なことは議論の文脈が構築されないことも意味します。その場に集まって同期的なコミュニケーションを図るのならばまだしも、議論の初期から参加している人、経緯を読み込んでから参入する人、流れを知らずに飛び入り参加する人、他者の意見を参照せず言いたいことだけを言う人などなど、多種多様で玉石混淆の意見が非同期的に飛び交うことは議論を収束ではなく発散させる結果をもたらします。
また並列性が高いことも議論を劣化させる要因です。民会では評議会が「議題を設定する」「発言順序を待たせる」「時間制限を定める」などディスカッションモデレーターとして機能していたのに対して、SNSにはモデレーターが存在しません。そのため各員がそれぞれ自己で設定した議題に基づいて発言することになり、議題が混在して議論が脱線していくことになります。
アルゴリズムも問題の一つです。過激で他者の注目を集める発言に多くアテンションが向くような設計をされているため、「より過激な発言」だけが目立つ仕組みとなっています。それでは議論が成り立たないのも必然です。
要するに、SNSは誰でも語れる場として公開性と参加性が高い点ではアテナイのアゴラに近似するものですが、議論の場としての制度設計が乏しいどころかそもそも為されていないため、互いの意見を撃ち合うだけ撃ち合って発散していくのみとなります。
議論が可能な理想的SNS空間の妄想
とはいえSNSにおける議論の需要は高いように思います。そうであれば、SNSに議論の機能を持たせるためには何が必要でしょうか。
非同期性は逆手に取ることが可能です。アテナイのアゴラのようにその場に集ってその場で議論を行う方法は議論を収束しやすくなるものの、論理や内容よりもその場での口が上手い人に議論が流されるリスクがあります。非同期コミュニケーションでログを残して議論が構築できるのであれば参加者は一息ついて相手の発言を精査したり自身の論理を再構築したりすることができるため、より深い議論が可能になるでしょう。
参加者の行動をシステムでコントロールすることも効果的です。発言の順番待ちをさせる、批難や誹謗中傷を言い放つ議論へ参加する気の無い人をキックする、そういったディスカッションモデレーターの機能をソフトウェア側で行えば並列性や公平性の問題も解決できるでしょう。アルゴリズムは言わずもがなで、議論スペースにおいてはアテンションではなく文脈のみを参照できるようにすれば関係なくなります。
要するに、多層構造のコミュニケーションスペースを構築すれば議論が可能なSNSが作れるかと思います。
上層はタイムラインとして、雑談や共感を取り交わし合う通常のSNS空間です。
中層はラウンジとして、上層で議論の種が芽生えた際、テーマ別にスペースを構築します。閲覧はオープンで、モデレーターAIに従うならば自由に参加可能とし、チャタムハウスルールの採用もできるようにすれば公平です。議論の結果は投票制とでもしましょう。その議論の勝敗が直ちに善悪や正誤となるわけではないものの、他者からどう評定されるかを意識することで議論を成り立たせるための心理的制約とします。モデレーターAIはログの整理と文脈の構築、発言者の順番管理、批難や誹謗中傷への対応とキックなどを仕事とし、アテナイにおいて評議会が行っていた役割以上のことを行います。
下層はセッションとして、1対1、或いは少人数用のスペースを作れるようにしましょう。ダイレクトメッセージよりは公開性のある場です。多人数では難しい議論や深い対話を行うためのオープンかつクローズドな空間は恐らく必要となります。対話を成り立たせるためのファシリテーターAIがあれば尚良いかと思います。
このように階層型の構造化を図ることで議論が可能なSNSが構築できるかと思います。少なくとも現在のSNSで不毛な議論もどきをするよりはマシです。
結言
まあ、ただ口喧嘩がしたいだけの人もSNS上ではいるとは思いますが、とはいえ議論の需要自体はあるように思えます。そのための、ちょっとした思索です。