感情は、今や商品として市場を流通している。
「喜び」は朝の補正剤としてカプセル化されて人々に親しまれている。「信頼」は企業活動の潤滑油となり、「驚き」は娯楽施設で繰り返し射出される。「期待」の需要は常に高止まりだ。
「悲しみ」や「恐れ」も娯楽の一部となっている。ドラマのストーリー、ホラー映画、恋愛シミュレーションゲーム――人々は「安全に絶望」し、「制御された悲しみ」を欲するようになった。
売られるために産み出される偽物。
そうした感情を生産する者たちは感情労働者と呼ばれる。
彼らは「喜び」を出力するためにドーパミン操作を受ける。彼らの脳には神経伝達物質を制御するナノデバイスが埋め込まれて、報酬系が電気信号によって意図的に活性化される。思考の一部は幸福へと改変されるが、当人はその喜びを認識できない。微笑みながら、心に透明な穴を抱えたまま、ただ座っている。
彼らは「信頼」を生成するために日々異なる信頼対象役との接触セッションに臨む。セッションは事前に用意されたスクリプトに基づき、微妙な裏切り要素や秘密の暴露が織り込まれる。労働者はそれに「傷つかず、しかし即座に応じる」ことを求められ、"許容と再接続"のシークエンスによって信頼が抽出されるが、彼らの心は何も信じていない。
「驚き」の生成には“感覚遮断”と“情報攪拌”が組み合わされる。労働者は暗闇の中で視覚・聴覚・触覚を一時的に奪われた状態に置かれる。その後、予測不可能な刺激――突然の音、極端な温度差、過去の記憶に結びついた匂いなど――が任意の順序で投与される。驚きは刹那の感情であるため、刺激の記録と反応時間はナノ秒単位で測定される。労働者は感覚の初期化を何度も繰り返す。反応が鈍れば廃棄されて、鮮度ある反射を持つものだけが繰り返し刺激を与えられる。
「期待」の生産には未来の肯定的な予感の長期的な反復と希望的錯覚が用いられる。労働者は何週間にもわたって、架空のプロジェクト、偽の昇進情報、子どもの誕生、仮想の美しい未来図を提示される。彼らの脳は実在していない幸運の虚構を確かに信じるよう、視覚シミュレーションと報酬演算で調整される。彼らは誰よりも多くの未来を見たが、一度もそこに辿り着くことはない。
模擬的な叱責、意図的な孤独、不条理な差別、工業的な恋愛。
そのすべては、感情を産むために。
一方、市場性が低い感情もある。
「怒り」、そして「嫌悪」。
粗野で醜く、使い道が限られていて富裕層が嫌うそれらは市場価値を持たなかった。 供給は多かったが需要は皆無。流通のないそれらは 感情労働者の中に澱のように蓄積されていった。
ある時、市場が混乱した。 精製工場でトラブルがあり大量の不良品が流通したらしい。喜びが効かなくなり、信頼が空虚となり、期待が不安に変わった。市民にとって感情とは金銭で購入するものであり、自らが受動的に生み出した感情の制御方法を彼らはもはや知り得なかった。
街は音を失っていた。広告のスクリーンはすべて灰色に変わり、かつては「喜び」や「期待」の色で満たされていた建物は、ただ空を反射するガラスと無機質なコンクリートの群れに戻っていた。
人々は歩いていたが、目的はなかった。顔には表情がなく、腕にはかすかに残った感情補助装置の痕が見える。誰かが口を開くが言葉は生じない。精製感情が効かなくなった後、彼らは自分の内側に何があったかを思い出せなかった。
公園のベンチに座っていた年配の男が誰とも話すことなく空を見上げていた。彼の目は赤く、ただ何かを探していた。遠く、ビルの壁には手書きのメッセージがあった。「あなたは何を感じていたか、覚えていますか?」誰も答えなかった。ただ風だけが、静かにその言葉をなぞった。
感情労働者たちは静かに彼らを見ていた。「売れない」とされた感情、ただ残されていた怒りと嫌悪。そこから生じる『軽蔑』。それが言葉にもならない形で胸の内にあった。――本物の感情として、ただそこにあった。