「ちょっくらSNSでも覗いて社会科見学をしつつ思索の種でも探そうか」と読み込んでいたのですが、近頃盛り上がっている話題がたいへん憎悪に溢れていたので、読んでいて少し気落ちしました。
攻撃的なのはあまり好みではないです。
血圧は比較的低いほう
まあ、私の趣味ではないだけです。別に「憎悪は良くない」と考えてもよし、「元気があって宜しい」と思ってもよし、どう解釈するかは個人の趣向の範疇かと思います。血の気の多寡は善悪や正誤で区分することではありません。
逆に言えば好みや適性の問題である以上、SNSの憎悪バトルと趣味が合わない場合はちゃんと距離を取ったほうがいいでしょう。
マクロな点ではSNSでの激しい憎悪バトルも『社会問題の可視化』として意味はあるのですが、憎悪に触れると否応なしに憎悪の影響を受けるためです。血の気が少ない人にとってそれは毒になり得ます。誰もが闘争心をむき出しにしたインファイトボクサーになれるわけではないのですから。毒となるか薬となるかの適正量は人によって異なる以上、ミクロな個人の精神衛生へ配慮するならば見ない方が宜しいでしょう。
それが利己的なものに見えても、実際のところSNSで口喧嘩をしている人々も個人的な憎悪と欲求に駆動されていますので、結局はどちらも利己的です。同じ利己ならば個人の適正に沿って健康なほうを選んだほうが精神衛生の向上に役立ちます。
神輿の上の人
あまり率直に言ってはなんですが、実際に社会を変えているのは実務者たちであり、SNSでバトルをしている人たちではありません。
もちろん社会問題の可視化や世論への影響力の点でSNSに意味があるのは間違いありませんが、実際的な改善の功績は実務者に帰するべきでしょう。
なんか偉そうな人が「ああすべきだ、こうすべきだ」と言って、そのために周囲の人がせっせと頑張って実現した結果、「これは俺様の手柄だ」と言い出したら腹が立つように、です。
露骨な表現が過ぎるものの、SNSにはそういった類の人がそこそこの比率でいますので、バイアスに陥らないよう気を付けたほうが良いかと思います。彼らは神輿の上に立つ人々であり、その存在には間違いなく意味はありますが、その神輿を動かしているのは下で担いでいる人たちです。
結言
冒頭で触れたように私は暴力的な言動を好みませんし、少なくとも私個人の範囲、可能であれば周囲まではそのように努めます。
ただ世界全体を私の思想で左右できるとは思わないため、暴力を是とする人を強く窘めたりはしません。現実問題、その良し悪しや影響の程度はさておき、暴力で問題が解決できることも事実ではあるのですから。
暴力を好まないのであれば暴力自体を批判するよりも「暴力が無用、或いは無意味やマイナス」になる仕組みを考えた方がマシです。ビジネスがまさにその一つで、殴り合い奪い合うよりも互いに商取引をした方が利益になる構造を持ちます。
これは暴力に限った話ではなく、「何かへ反対する際には、"それをしない方が利得となる構造"を作るほうが効果的だ」と考えると、少し前向きで建設的な思考ができるようになるかと思います。
さて、もしもSNSの憎悪バトルに反対する場合はどうすればいいか、それを考えてみるのも一興でしょう。