忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

不幸になる方法

 

 最近見た言葉。

不幸になるのが得意

 なんと言うか、言い得て妙です。ここに「他責思考」やら「Victimhood culture」やらを絡めることで各種社会問題におけるネガティブ思考の苦境とその元凶をそこそこの範囲で説明できそうな気がします。

 ですが、あんまりヘヴィだと息苦しいので今回は社会問題と絡めず、ほどほどに軽い感じで語ってみましょう。

 

 率直に結論から言えば、不幸になるのは簡単です

 

算数的な考え方

 不幸体質かどうかは根本的に自身の認知次第です。他人の幸不幸は本質的に認知しようがありませんし、同じ出来事であっても幸不幸は個人の解釈に依存します。

 他人の認知は分かりようがない以上、他人が幸運であるとか自分が不幸だとか考えることは自身の認知次第としか言えません。凄まじい極論ですが、それこそ他人が宝くじに当たって大金を得たとして、もしかしたら当たった人は幼少期のトラウマで拝金主義を嫌悪しており友人から嫌々受け取った宝くじが当たってしまって不幸のどん底にいるかもしれません。

 まあそんな特殊な例を用いるまでもなく、ピンチの時に落ち込む人とニヤリと笑う人の差はピンチをどう認知しているかに依存するわけで、何が幸福で何が不幸かなんて状況と個人の認知次第です。

 

 これは正誤や善悪の問題ではありません。人間万事塞翁が馬ですので、楽観主義が良い時もあれば悲観主義が適切な時もあります。

 ただ、まあ、楽観主義は「マイナス~プラス」の振れ幅があるのに対して悲観主義は「マイナス~ニュートラル」までの範囲ですので、平均で見ると楽観主義はトントン、悲観主義はちょっとマイナスとなり、楽観主義をベースとしたほうが気楽かとは思います。

 

不幸になる方法

 悲観主義は平均するとちょっとマイナス、つまり悲観主義は言ってしまえば「不幸になるのが得意」なパターンの一例です。

 他にも悲観主義と関連していたりしていなかったりしますが不幸になる方法を考えてみましょう。不幸になることは簡単であり、その方法は無数にあります。

 

 例えば自己否定です。

 何か上手くいっても努力や能力ではなく運が良かっただけで次は失敗するかもしれないと考えたり、賞賛を得てもそれを否定してしまったりするのは悲観主義の為せる技であり、良く言えば謙虚ではありますが悪く言えば自己肯定感の醸成に失敗しています。

 雑な言い回しですが、人は好きな人と一緒に居ると幸せになりますし、嫌いな人と一緒に居ると不幸を感じます自己肯定感が低く自分のことを嫌いな人は”一番一緒に居る身近な人”を嫌っているわけで、それは不幸にならざるを得ません。

 

 挑戦を避けることも不幸を呼び込みます。

 悲観的で上手くいくビジョンが見えないと「でも」や「どうせ」とブレーキが掛かると行動が抑制されてしまい挑戦から遠ざかってしまいますが、人は成功によって成長するのではなく行動によって成長します。行動の結果が成功するか失敗するかは関係ありません。

 そもそも未来予測なんて誰もできません。努力や才能のファクターはあろうとも行動が成功するか失敗するかは運否天賦とすら言っていいでしょう。その点からして、行動の是非は成功するかどうかではなく成長や変化が生じるかで定めるべきであり、成功するかどうかで定めるのは明確に誤りです。

 

 比較も不幸の始まりです。

 比較は社会的な幸福感をお手軽にもたらしますが、相対的で際限がないものです。それよりはもっと手触りのある絶対的な幸福感を重視したほうが健全でしょう。

 例として、甘いお菓子を食べた時に得られる幸福感は社会的比較を必要としません。それは相対尺度を持たない絶対的なものです。それに対して「私よりも甘いお菓子を食べている人がこの世には居るのだから私は不幸だ」なんて考えはさすがにちょっとパラノイア的でしょう。人と幸福を比べる行為は本質的にこれと全て同じであり、よくよく考えると全て変なことです。

 そもそも他者の幸福にスポットライトを当てる必要はありません。スポットライトは一部を明るく照らし出すのと同時に他の部分をより暗くする効果を持ちます。つまりテレビの成功者やSNSの幸せアピールを見て自身と比較することは、無意味に自分を暗がりへと押しやっている行為に他なりません。

 もちろん行動経済学的に「人は社会的な動物であり他者との比較で幸福を感じる」ことは間違いありません。他者と同じ行動を取って安心したり、他者とは違う行動を取って優越感を感じたり、他者よりも優れたものを顕示して満足感を得たりすることは事実です。ただ、それらを上手くコントロールできなければ幸福を感じるどころか不幸一直線となります。

 

 アイデンティティの仮託も比較的致命的かと思います。要するに「不幸な自分」「苦労している自分」にアイデンティティを依存している場合です。

 アイデンティティを確立することは難しく、能力や特性、所属や関係性、信念や信仰、経験や役割などなど、人は各種様々な方向性を持って自己のアイデンティティを確立しています。その中でも欠如や喪失をベースとすることは容易です。空虚・無所属・無名性・自己否定・不幸・異端・逸脱、そういったものは努力や積み上げも不要で簡単にアイデンティティとして確立することができます。

 ただ、アイデンティティとはそれが自分を成り立たせているものである以上、本質的に失い難いものです。つまりお手軽な欠如や喪失にアイデンティティを仮託してしまうとそれを手放せなくなります。解決策を提示されたとしてもそれらに代わるアイデンティティが無ければ問題解決ではなく問題保持を選択してしまい、いつまで経っても不幸や自己否定の螺旋から抜け出せません。

 

結言

 ざっと不幸になる方法を並べてみました。

 不幸になるのが得意な人は多分この辺りを無意識的にやっていると思いますので、それを避けると少しハッピーに近寄れるかもしれません。