もはや個人的には習慣付いているとはいえ、繰り返し心に刻まなければならないこと。
ヘンペルのカラス
私たちはつい自分と同じ意見を持つ人の言葉に安心感を覚えがちです。特にSNSや各種コミュニティで自分の意見に共感や賛同を得られることは、あたかも自分の考えの正しさを証明するものかのように感じられるでしょう。
しかし真に強い論理とは、同じ意見が多数あることではなく反対意見に対してどれだけ耐えられるかで決まります。
論理の思考実験の一つに「ヘンペルのカラス」があります。
これは有名な話で、仮説「全てのカラスは黒い」を検証する際、黒いカラスをいくら集めても証明にはならず、むしろ黒くないカラスが存在しないことを示す必要があることを述べた論理です。
たとえどれだけ多くのカラスを調べたとしても”次のカラスが黒いかどうか”は分かりません。反面、全ての黒くないものを調べた結果そこにカラスが居なければ、「全てのカラスは黒い」ことが証明されます。
現実にはアルビノのカラスや灰色のカラスが居ますので命題「全てのカラスは黒い」はすでに反証済みですが、重要なのはそこではなく、この思考実験が示しているのは肯定的な事例の積み重ねでは理論の証明とはならないことです。理論の強度は肯定の声の多さではなく否定の声の弱さで決まります。
異なる意見こそ収集する意味がある
同様に、自身の立てた命題、自身の論理の正しさ、自身の考えの強度を証明するためには、帰納法的に同じ意見をかき集めるのではなく反対意見こそ収集しなければなりません。それらの反対意見に対して適切な反論ができるか、理論に穴が無いか、どこを補強すべきか、そういった所作こそが真に論理の強度を高めます。
セキュリティの強度を調べるためにはどれだけセキュリティが高度に構築されているかを調べるのではなく実際に攻撃を仕掛けて穴や裏道が無いことを調べるように、論理の強度もどれだけ反対意見をぶつけて耐えられるかで決まります。
賛同者が多かろうとそれは論理の正しさを証明するものではなく、むしろただの幻惑です。論理の正誤は多数決では決まりません。
結言
人はつい安心や賛同を求めて同じ意見を集めてしまいがちなものです。
しかしそれではエコーチェンバーに陥り思考の幅を狭めて不適切な論理を構築する結果をもたらします。
どれだけ不快であっても、どれだけ不安であっても、自分と異なる意見をこそ求めていく姿勢を持ち異なる意見にこそ価値があると常に意識することが大切です。
もちろんコミュニティの中で安心を得るためにそうすること自体は悪いことではありませんし、精神的な障害やトラウマを癒すために共感や賛同を必要とすることもあります。
しかし社会を啓蒙しようと自身の考えを世間へ喧伝するならば、異なる意見にこそ耳を貸さねばならないでしょう。