「政治が悪い」とはよく耳にする言葉ですが、じゃあ「良い政治」とは何ぞや。
そんな思考実験をしてみましょう。
良い政治と悪い政治
政治の目的は社会集団の利害や対立を調整して意思決定をもって社会集団の維持や発展させることであり、大雑把に言ってしまえば『集団に所属する人々の幸福を追求するための手段』が政治だと言えます。
人が数人集まればそこに政治が生じるように、政治とは集団で必然的に必要なものです。
とはいえ万人を幸福にすることは現実的ではありません。
幸福の形は人それぞれ異なりますし、過激な極論を言えば、人に迷惑をかけたり他者を害することを嗜好する人の幸福まで社会で面倒を見ることはできないでしょう。
功利主義的に最大多数の最大幸福を極限まで目指すことが理想ではありますが、その極限値は100点にはなり得ません。
よって万人の幸福の実現が「良い政治」だと定義した場合、良い政治に辿り着くことはないでしょう。
とはいえそれを「悪い政治」と評して批判しても意味はありません。この世が楽園になっていなければ駄目だとするような基準は基準の意味を為さないのですから。
そのため、政治の良し悪しを語る上で、「良い政治」にもう少し現実的な形を与えることが建設的な議論には必要かと思います。
良い政治の要件
「良い政治」に求められる要件を考えてみましょう。
まずはベースとして【公共性】が重要です。
特定の団体や個人の為ではなく社会全体の利益を考慮して最大多数の最大幸福を追求していることが良い政治には必要でしょう。そのためには税や公共財の適切で公平な分配が不可欠です。政治の主な手段は資源の分配であり、それが不公平では政治の目的を達成することはできないのですから。
同時に【透明性】も必要になります。
政策の審議や意思決定のプロセスが公開されて誰が何をどう決めたかが明確に追えなければ公共性が保たれているかを人々は検証することができません。合わせて統治機構と人々の間で適切な問責・答責の関係が構築されることも必要になります。
シュレディンガーの猫ではありませんが、たとえ政治が公平に資源を分配していたとしても、それを第三者的に観測できなければ公平さは存在しないことと同義です。
間接民主主義では【代表性】も不可欠です。
市民が政治へアクセスして意見を反映できていることが重要であり、選挙制度や議会構成が社会を正しく反映していること、少なくとも市民がそう捉えて政治家を自身の代表者だと認識している状態が必要と言えます。代表性のない政治は公共性に欠けていますし、代表性を得られていない人々がその社会に所属する意味すら喪失させるためです。
これは包括性や多様性とも言い換えることができるでしょう。少なくとも対話が存在して代表者へ意見を届けることができていれば代表性は生じます。そのためには特定の立場や属性を優遇せず広く公論を受け入れる姿勢が政治には必要です。
他にも【持続性】は考慮すべきポイントです。
短期的な人気取りや大衆への迎合に傾倒せず、長期的な社会の安定と繁栄を見据えて次世代への責任を果たすために環境や教育を重視した政策が施行される政治こそ良い政治だと言えるでしょう。
極論ですが、人は社会に所属しなくても生きることはできます。無人島であっても人は人であることに変わりありません。
しかし生き続けて欲求を満たし続けるためには社会やコミュニティに所属する必要があります。要するに社会・コミュニティの存在理由は長期的な持続性に他なりません。
よって持続性を考慮しない短絡的な政治は不適切です。
政治に関連する項目として【法治性】も無視できません。
法律が恣意的に運用されず平等に適用されていると人々が感じること、そして三権分立が適切に機能して汚職や権力の乱用に対する厳格な監視と処罰が行われることが求められます。
政治が法を恣意的に運用して法治を無視するようであれば誰もがその政治に公共性や代表性を感じなくなることでしょう。
結言
いくつか特性を抽出してみました。
抜けはあるかもしれませんが、少なくともこれら【公共性】【透明性】【代表性】【持続性】【法治性】を満たしていない政治、特定の団体を優遇していたり意思決定プロセスが不透明であったり持続性を考慮せず長期的な資源配分を考えなかったりする政治は「悪い政治」と言えるでしょう。
「悪い政治」をただ「悪い政治だ」と声高に批難してもあまり効果的ではありませんが、これらの観点が欠けていることを批判すれば少なくとも「悪い政治」からは遠ざかることが期待できる建設的な議論ができるようになるかと思います。