センセーショナルな言葉だが、特に意味はない。
恐怖は全てに優先してしまう
昨今世論を騒がせているPFASについて、私としては「リスクが高そうなものはすでに規制済みであり、騒ぎすぎではないか」と捉えています。
もちろん環境ホルモンしかり、ダイオキシンしかり、世論やメディアはリスクではなくハザードへ敏感に反応するものですので、騒ぎが生じるのは多少止むを得ないでしょう。ハザード単独ではリスク評価として不適切で、本来は”量”の概念が不可欠ですが、生物の本能は生存を優先するため、恐怖であるハザードに対して強く反応してしまうものです。
例えば「発がん性があります!」などと言われればリスク評価よりも恐怖が大抵は優先されますし、「基準値の何倍もの濃度が検出されました!」なんて報道されればリスク評価を考えるよりも先に「怖い!」と思う感情が先走るのは仕方がないことです。
その恐怖の前ではPFASの定義やらPFOAやPFOSとの違いやら基準値の根拠やら安全マージンの幅やらそういったことは頭から吹き飛んでしまうことでしょう。
永遠の化学物質
恐怖が先行するのは生物の本能ですのでやむを得ません。
ただ、PFASの別名である永遠の化学物質(フォーエバー・ケミカル)は別の問題があるため宜しくない言葉だと思っています。
永遠の化学物質。
パッと見る限り、実にセンセーショナルで恐怖を引き起こす言葉です。
そして実際のところ、どれだけ意味があるかと言えばほとんどないと言っても過言ではありません。
まず、『永遠』に残ると言われると恐ろしげに聞こえますが、自然由来で分解されにくい物質なんて金属や天然の高分子を筆頭に自然界の循環において無数にあります。
また分解されれば良いというわけでもなく、分解されることで毒性を生じたり拡散しやすくなったりする物質もあります。
つまり永遠であるかどうかは実のところまったく重要ではなく、それに毒性等があるかが問題です。『永遠』のフレーズは恐怖を煽るだけで意味の無いレトリックに過ぎません。
『化学物質』もなんとはなしに恐ろしそうな言葉かもしれませんが、そもそも私たちの身の回りの物質はほとんどが化学物質です。化学物質だからと恐怖を覚える必要はありません。
また、この場合の化学物質とは概ね『人工物』を意味する言葉ですが、結局は同じことです。「人工物は危険・悪であり自然物は安全・善である」とした考えは認知バイアスや詭弁論法の「自然に訴える論証( appeal to nature)」に過ぎないためです。
たしかに自然は多くの点で優れたものですが、自然だから安全だと考えるのは典型的な誤謬です。ヒ素やアスベストなど天然の危険物は無数にありますし、食中毒は化学物質よりも自然毒のほうが多く発生しています。
そもそも医学・薬学における人工物の発展は病気や出産で自然に死ぬ人々の数を劇的に減らしました。他にも衣食住のありとあらゆる側面で人工物が用いられて私たちの暮らしを近現代以前よりも遥かに良くしています。
現代の私たちは自然の危険から隔離された環境に生きているせいで忘れがちですが、自然に囲まれていた時代は今よりも遥かに危険で多くの人が長生きできずに死んでいました。人工物のすべてが善いわけではもちろんありませんが、自然には意図がなく、人類にとって安全であろうとする意志もありません。
つまるところ、永遠の化学物質はそれ自体が本能的な恐怖から来る認知バイアスを引き起こすフレーズですが、それが実際的かはまったくもって別の話です。
極論、マクロな視点で見れば水(H2O)ですら自然界ではあまり分解されない永遠の化学物質だと言えるのですから、このフレーズを使っている時点で少し角度のついた情報発信だと疑ってかかる必要があります。
結言
PFASのハザードについては専門家の分析を見る限りそこまで高いと思っておらず、規制も進んでいますので本音を言えばPFASのリスクは今のところ低いだろうと思っていますが、とはいえリスク許容度は人それぞれですので、強く反応する人を否定するつもりはありません。
ただ、「永遠の化学物質」は単純に認知バイアスを引き起こすプロパガンダ的な意味合いとなりかねないフレーズなので、使用は控えたほうがいいと思っています。