カナダ人の哲学教授ジョセフ・ヒース氏が斎藤幸平氏についてのsubstack記事を書いていました。
よくまとまった批評ですのでこれを読んでもらえれば満足です。経済学101が日本語訳を提供してくれています。
とはいえ、個人攻撃になるような言説は好まないので直接的にはあまり言及していないものの私もこのブログでいくらかマルクス主義や脱成長論を批判してきましたので、自分の記憶を掘り起しがてらちょっと記事をまとめてみます。
記事がたくさんあるのはジョセフ・ヒースが言うように「あまりに現実からかけ離れていて、どこから批判を始めればいいかわからない」と私も思っているためです。
履歴とコメント
脱成長批判の第一弾です。もう3年以上も前に書いたことに驚きます。
『人新世の「資本論」』を読んだ後に書いた記事ですが、目指したい思想をどう実現するかがどこにも書かれていない空想的な本だと思ったので、「それをどう実現するのだ?」とした記事を書きました。ビジョンも重要なことは分かりますが、そのための道筋が見えないようでは工学屋として同意し難いです。
次に書いたのはマルクス主義の批判です。
「それをどう実現するのだ?」のマルクス主義的な回答が「暴力革命」や「思想統制」であり、実際にソ連や中国共産党はそういった手法を取ったわけで、それはシンプルに駄目だろうと批判しています。
民主的に決めるとただ言えばいい訳ではなく、民主的とは理念ではなく手続きです。よって方法論は明確に策定し、どう民主的な手続きが担保されるかを考えなければ意味は無いでしょう。
そもそも結局なにかしらのユートピア的思想を集団で実現するためにはそのユートピアを皆が共有しなければなりません。そのためにはそのユートピアを強制するか、或いは同意しない人をユートピアから追い出さなければならず、そういったやり方は単純に私の好みではないです。
脱成長的批判の第二弾です。
資本主義は資源を奪い合うから宜しくないと言われても、地産地消の小さなコミュニティは資本主義以上に奪い合いが生じるのであって、資本主義を捨て去るための代替案としてはお粗末ではないかと考えます。工学屋から言わせてもらえば、思想やイデオロギーが社会的な偏在を生んでいるのではなく、地理や技術が制約条件です。
次は資本主義の擁護です。
資本主義が独占や偏在を生むように思われていますが、そうではないシステムは独占や偏在を防げるかと言えば、実際はそうなっていません。
また、冒頭で紹介した記事でジョセフ・ヒースが述べているように、資本主義批判はゼロサム思考に陥り過ぎです。実際の資本主義はプラスサムが基本であり、価値の総量を増やしているからこそ持続できます。逆にコモンズのような閉じた系でゼロサムを維持することは不可能です。これは熱力学的に説明可能な原則と言えます。
これも脱成長批判です。
小さな共同体で小さく過ごせば平和だと考えるのは牧歌的で素敵な空想ではありますが、歴史が証明してきたように小さな共同体は著しく不安定なものです。人は都市化したいから都市化したのではなく、自然淘汰によって長く生き残れたのは都市化できた地域であった、それだけの話だと考えます。
次は国内外でチマチマ話題となる社会主義思想と環境主義についての批判です。
簡潔に言えば、資本主義が持つ自然の合理性と比べて他の仕組みは無駄が多くなるため根本的に環境負荷を高めます。人が合理的に考えれば自然よりも効率的にできると考えるのは、人間を過大評価し過ぎです。
たくさん言及して満足したので2年以上気にしていませんでしたが、久しぶりに脱成長コミュニズムを見かけたのでまた書き始めました。この記事は直球の脱成長批判です。
私が批判側、Copilotが擁護側でやり取りした記録を残してみました。途中でCopilotが擁護を諦めたり、やたらとディストピア的なことを言い出したので面白かったです。
うちのブログは社会主義を批判し過ぎているなと思ったので、少し異なる見方を提示するために書いた記事です。私は中道主義者であり、自分が同意しない意見であってもそれが人々の賛同を得ている以上なんらかの良い点や訴求力があると考えます。この記事ではそういった良い側面に焦点を当ててみることを目的としました。
これは直球で資本主義を擁護する記事です。資本主義の悪魔化はナラティブであり、せめてそういった側面で批判するのであれば工学的に社会実装が可能な代替案を示すべきだろうと考えていることを率直に述べてみました。
資本主義を擁護ばかりしているのもバランスが悪いので、資本主義の悪いところも述べてみた記事です。とはいえ他に良い道筋が今のところ見つかっていない以上、なんとか共生するしかなかろうと考えています。
結言
理想的なことを啓蒙することは決して悪いことではありませんし、人間にはそういった夢が必要でしょう。
ただ、その灯への道筋を整備せずに奇麗なことだけを言って人々を誘因するのはセイレーンの歌声やウィル・オー・ウィスプと同程度に”たちが悪い”と思っています。