人は知性を重んじる動物であり、知性を褒められることが嬉しい。
政治論争は差別の温床
自民党の総裁選が終わりましたが、うちではそんなに話題にはしません。
「うちはうち、よそはよそ」です、なんてオカンのようなことを言ってみます。
ホットなトピックは猫舌には辛く旬の話題は荒れかねないので避けたい派ですし、社会観察としては良いタイミングなのですが正直なところ近頃は忙しくて疲れているので嫌なものをたくさん目にしたい気分ではありません。
いや、ホント、社会分析的にはたいへん興味を惹かれますが、日頃「差別はいけない」と言う人が多いクラスタで職業差別や性差別的発言を見るのはメンタルを削られるので、そういった観察は元気な時しかできません。
公共性が認められる公人とはいえ「政治家は誹謗中傷してもいい」なんて直球の職業差別意識ですし、「男だから、女だから」と性別に結びつけた言説は正負どちらであっても性差別的です。
もちろん「初の女性首相」など事実だけを提示することは問題ありませんが、その属性を持ってして何かしらの批評を行うことはあまり適切ではありません。
あるいは、そもそも「差別はいけない」と日頃言っていなければ差別をしても筋は通ります。筋が通っていればなんでもいいわけではありませんが。
「これは差別ではない」とあれこれ理由をつけて恣意的に扱いを変えることそれそのものが差別であると言うのに、差別を解消すべく動くべき政治界隈ですら当たり前のように差別的な発言が各所で飛び交うので不思議です。世の中から差別が無くならないのもむべなるかなと悲しい気持ちになるので、端から見ない方が私の精神安定によいでしょう。
まあ、差別関連のテーマは事前に投稿しておいたので、今回は別の話をしましょう。
知性を見せつけたい欲
私はネット上での意見発信をブログでしかやっていません。SNSはROM専です。
SNSのほうが手軽なのは分かっているものの、その手軽さが必ずしも良いことだとは思っていないためブログを使います。
意見発信をわざわざ人目に付くブログやSNSでする人は、基本的に大小様々あれど人に見られたいと思っています。そうでなければ人目に付くところでやる理由がありません、こっそり紙のノートにでも書くことでしょう。
人に見られたい動機はもちろん様々であり、人から肯定されたいとした承認欲求、他者へ影響を与えたいと考える啓蒙的な欲求、アテンションエコノミーでの実利などがあります。
どれも取り扱い注意の厄介な動機ではありますが、その中でも他者や社会へ影響を与えたいと考える「知性を見せつけたい欲」は要注意です。
私だって、「バズりたい、アクセス数を稼ぎたい」とは収益化していないので思っていませんが、ブログを見てくれた人に「こんな視点もあるのか」なんて思考の多角化を提供したいと思ってブログをオープンにしています。これも一つの「知性を見せつけたい欲」に他なりません。
ある種の人間は知性の価値を必要以上に高く見積もっています。人と動物の差は知性であり、より知性的であるほど人間として偉い、そう考える人間です。
実際には「頭が良い」なんてことは「足が速い」とか「歌が上手い」のように個性の一つであり、それ自体は凄いことですが偉いわけではありません。
それを理解せず知性を過剰に重んじる人は「知性を見せつけたい欲」に抗えなくなります。それこそSNSで「誰よりも早く真っ先に一番知的で本質をついた賞賛を得られるコメントを発信したい」と思っている類の人は、そういった欲求の奴隷だとすら言えるでしょう。
この手の思考回路は二番煎じや後手に回ることを敗北だと考えるようになり、ますますSNSにのめり込んで近視眼的に浅い思考で思い付いただけの失言を発信しかねず、それは知的な態度からはむしろ程遠い結果をもたらします。なによりちゃんと時間を使って検討していない配慮の無い発信は差別やデマに繋がりかねません。
大喜利じゃないんですから、本来は慌てず慎重に発信すればいいだけのことです。
さらに言えば、むしろ他者がより優れた意見を先に発信していればそれを賞賛したり取り入れたりすべきです。人の知性を重んじるのであれば他者の知性をも同時に尊ぶべきであり、それこそが知的な態度だと言えます。
自らの知性を大喜利的に誰よりも早く人に見せびらかそうとすることは、むしろ知性的ではない未成熟さの表れですし、承認欲求や自己表現といった欲求の虜でしかありません。
結言
要するに、私自身「知性を見せつけたい欲」を持つ頭でっかちな人間なので、あえて余計な失言をしないようスピードの遅いブログでだけ情報発信をするようにしています。
私のような人間がSNSをやったら失言をのべつ幕なしにばらまきかねませんので、やらない方が正解です。