前にも書いたことがありますが、人文社会科学にも「工学」が必要だと思っています。
理学と工学が住み分けている理由
科学分野の区分けは色々と種類があるのですが、とりあえずメジャーな5分類として「自然科学」「応用科学」「形式科学」「社会科学」「人文科学」で分けましょう。
理系分野では、自然現象などを予測し説明する「理学・基礎科学・自然科学」と、科学的知識を実用上の目的を達成するために活用する「工学・応用化学」が完全に厳密ではないとはいえ分かれています。
これらを簡単に言えば、新しい理論を発見するのが理学屋で、それらを実社会へ実装するための方法を考えるのが工学屋です。理論の発見とその活用は根本的にレイヤーが異なりますので住み分ける必要があります。
雑な例え話ですが、「作曲家」と「演奏家」は必ずしも兼ねる必要はありません。それぞれに求められる能力や才覚は別物なのですから。
もしも理学と工学を住み分けなかった場合はいくつかの弊害が考えられます。
一つは理論の暴走。
理論の探求は社会的影響や倫理的制約が考慮されない場合があるため、工学フィルター無しに未検証の知が社会へ流入した場合、予期せぬ副作用を生む場合があります。例えばクローン技術やAIを開発するのは理学の仕事で、それによる生命倫理や人権侵害への影響を検証したり抑えてどう社会で活用するかを考えるのが工学の仕事です。
一つは社会の実験室化。
科学的手法に基づいた仮説検証は実験的に行われるものであり、実験室と実社会は明確に区分しておかなければ危険な社会実験が敢行されかねません。理論の妥当性や再現性は実験室で検証し、社会へ実装する時にはより安全な状態を構築する必要があります。
一つは抽象度の違いによる非現実化。
理学は抽象度の高い理論を取り扱いますが、それを実社会へそのまま実装した場合は現実でその理論に基づいた情報や法律を取り扱うことができなくなります。抽象度を下げて現実で取り扱えるような解像度へ落とし込むためには理学と工学での分業が必要です。
概ねこのような弊害を避けるため、理学と工学、基礎科学と応用科学は住み分けをしています。
摩擦(コンフリクト)の原因
翻って人文社会科学を見た場合、これらの住み分けが行われているとは言い難く、そのために先述した弊害が生じていると言えます。
人文社会科学で発見された「〇〇〇効果」や「〇〇〇現象」などは工学的アプローチを経ずに社会へ流入しているため、その理論の妥当性や正確さが不明瞭なまま未検証の知として社会に影響を与えてしまっています。実際にその効果は事実か、その効果はどのようにして生じているかだけでなく、その効果に対して社会構造をどのように再構築するかの検証が不足しており社会の摩擦(コンフリクト)を生んでいるといっても過言ではありません。
例えばジェンダー理論やLGBTQなどに関する社会的な論争と混乱は理論の暴走に該当しますし、すでに実装された各種の教育や規範は社会の実験室化以外の何物でもありません。学者と政策立案者の間に設計者がいないために理論がそのまま政策となってしまい実際の仕組みや法が追い付いていない点は抽象度の違いによる非現実化が起こっていると言えます。
さらに理系分野には無い問題として、人文社会科学における発見の一部は理論が規範を含むため、工学的アプローチを経ずに社会的な議論が生じた場合は対立意見が善悪や道徳の観点で批判されるなど、摩擦が悪化する問題もあります。
もちろん人文社会科学の分野で工学を導入することにはハードルがあることは事実です。単純に「人文社会科学」と括っても分野が多岐に渡るため統一的な工学を成立させることは難しいですし、実験室による客観的な検証も難しくあります。
とはいえ同様とまではいかないとしても人文社会科学に適した何らかの工学的アプローチは検討されて然るべきでしょう。
結言
議論が混乱しつつも工学的アプローチによって何とかなっている事例として気候変動問題を挙げてみます。
気候変動は理学・自然科学の学問分野です。
自然科学の学者・研究者が発見した理論に対して様々な論争が生じていますが、これはある種の「理論の暴走」に該当する事象と言えます。
しかし論争を尻目に現実は防災・都市計画・農業計画・インフラ整備・エネルギー設計・蓄電技術・スマートグリッドなどなど様々な観点において工学的アプローチに基づいた方策が図られており、理論の暴走や社会の実験室化を防ぐ実社会への設計プロセスが機能していると言っていいでしょう。
極論ですが、気候変動の理論から導き出すのであれば「人口抑制・削減によるCO2排出の低減」「餓死や貧困を厭わない経済活動の停止」「文化や人権を無視した強制移住による土地利用の最適化」などすら理論上は検討可能です。そういった非倫理的な暴走や社会実験を防ぐために工学はフィルターとして機能します。
同様に、人文社会科学においても社会へ研究結果を反映させる場合には何らかのフィルターがあったほうが良いと私は考えます。