昔このブログで疑問を呈した後、少し考えて腑に落ちたことを報告し忘れていたので報告します。
特に深い意味はない、数年越しの自分に対するアンサーです。
認知バイアスが原因
「テレビはなぜ保守からも革新からも偏っていると批判されるのだろう」と、以前に記事で疑問を呈したことがあります。
私はそもそもテレビを見ないので目にする耳にする話でしかないのですが、テレビは偏っているという意見を時々以上の頻度で聞きます。
それも不思議なことに、保守系からも革新系からもです。保守系の人は「テレビは与党を叩いている」と考え、革新系の人は「テレビは与党に忖度して叩いていない」と言っています。
左右どちらから見てもテレビは偏っているということですが、これは一体どういうことなのでしょう?
少し考えれば簡単な話でした。
これはもうシンプルに、ただの認知バイアスです。
人は自身の政治的立場や思想と異なる報道に触れると「偏っている」と感じます。
逆に、自身の政治的立場や思想と同じ報道に触れた時には「偏っている」とは感じません。むしろそうした報道に対しては「そうだその通りだ」と首肯するだけで、偏っているかどうかはそもそも考えもしないでしょう。
その結果、自身の見解とは異なる報道の「偏っている」だけが情報として記憶に残るため、積み重なるうちにテレビは偏っていると認識するようになります。
もちろん実際には局や番組ごとの偏りは多少なりともあるでしょう。
しかしそんな偏りとは関係なく、たとえ完全に不偏不党でバランス良く報道していたとしても、政治思想の偏った視聴者からすれば「報道が偏っている」と認識されます。
つまるところ、あまり意味のある疑問ではありませんでした。
左右に関わらず、偏っている人が判断するから偏った結論が出る、特に面白みも無いそれだけの結論であり、要するにただの認知バイアスです。
用語の整理
認知バイアスの話ですので、この辺りはもちろん当然の如く心理学やメディア学で研究されています。
このような認知バイアスは、仮説や信念を検証する際にそれを支持する情報ばかりを集めて反証する情報を無視する傾向を意味する確証バイアスの裏返しとも言えますし、近接概念の選択的知覚も悪さをしているでしょう。
もっと率直に、メディアが自分とは反対側の陣営にとって有利な方向に偏っていると考える敵対的メディア認知という用語すらあります。
結言
この結論は、テレビが偏っていない、という意味ではありません。
偏っているかどうかの認知は判断者の認知に影響を受けることを示しているだけであり、テレビは本当は中立的かもしれませんし、もしくは思いっきり偏っているかもしれません。
しかし少なくともそれを個人で判断することはできず、偏っているかどうかは観測者の主観を均すことができる統計的手法に頼る必要があります。
AllSidesのメディア偏向表のように、専門家と一般人の意見を持って偏りを評定することが妥当でしょう。