忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

仕事がいっぱい(無限に)ある

 

 仕事が無い、という感覚を一度くらいは味わってみたい。

 そんな、仕事に関する戯言をぽろぽろと。

 

そういう仕事

 まあ基本的に総合職や技術職なんてものは広範な業務を取り扱うもので、広く言い換えてしまえば「所定の実務をこなす」ことではなく「会社組織をより良くする」ことが仕事です。

 タスクをこなすことではなくタスク自体を設計して価値を創造することが仕事であり、そして価値創造には上限がありません。新しいことであろうと、改良であろうと、基本的に無限です。そのため「会社組織をより良くする」ためには無限の仕事が発生します。仕事が無い、そんな状況よりも会社組織が無くなる方が先です。

 

 事業所勤務の設計屋時代はそれこそ製品の開発や改良なんて無限に行わなければなりませんでしたし、今は企画を仕事にしているわけで、むしろ私が仕事を増やして人から迷惑がられる側です。企画によって仕事を回される側からすれば、それが付加価値のある仕事か余計な仕事かなんて関係なく仕事が増えること自体が個人にとって迷惑な以上、現場からは煙たがられざるを得ません。

 企画を立てる度、(ああ、自分の仕事も増えるし人の仕事も増えるし困ったものだ、だが会社組織を維持するためには利益を立て続けなければならんのだ)と、まるで経営者の代弁者みたいな気分になりながら仕事をしています。

 経営者側ではないどころかただの下っ端であり、むしろ堂々たる被雇用者のサラリーマンとしてはどちらかと言えば現場側へ一緒に立ちたい気持ちはありつつも、仕事は仕事なので経営者の代弁もせざるを得ません。

 微妙にストレスです。いっそ管理職であれば会社側に立っても認知的不協和は生じないのでしょうが。

 

結言

 そんなわけで、「仕事が無い」どころか、企画屋として「仕事は自分で作るものだ」を地でやることが仕事になっている以上、残念ながら仕事が無くなることはありません。仕事を無くそうと思ったらまずは会社を潰さなければならず、それはちょっとさすがに大事過ぎて私の腕ではできかねますし、それはもはやただの心中です。

 

 まあ、「今月はこれをやったらお仕事は終わり」といった類の定型的な仕事もまたそれはそれで大変なことがありますし、私としては裁量の幅が広い仕事の方が向いています。むしろきっちりかっちり管理されるほうが苦手です。

 その代わりに課せられる『意思決定とその責任によるストレス』は、甘んじて受け入れざるを得ないでしょう。