予言の自己成就的なやつです。
じゃあどうすればいいのかと問われると、とても困るのですが。
ネガティブフィードバック
「君にはできない」と子どもが言われ続けると本当にできなくなるように、予言の自己成就の逆パターンであるネガティブフィードバックは現実に存在する事象です。自信を失い無理だと思い込んで挑戦をしなくなり、努力や経験を積み重ねることができなくなって本当にできなくなります。
そしてそれは組織や集団においても同様に発生します。
ある組織に対して人々が「貴方たちは信頼できない」と否定して社会的信頼が失墜すると、優秀な人材がそういった組織に所属することを忌避するようになり、志望者の質が低下していきます。組織内部でも士気が低下して腐敗や怠慢が蔓延するようになり、それを見た人々がさらに「やはり信頼できない」とネガティブフィードバックで世論が強化されていきます。
それは組織にとっての不幸ですし、その組織が果たす役割によっては人々にとっても不幸です。
秩序の根底
個人的に懸念しているのは司法と警察です。
まあ立法府についても心配はしているのですが、政治家についてはもうすでにネガティブフィードバックへ突入していて手遅れになっているような気がするので、今からどうすればいいのかはさっぱり思い付きません。「皆さん、もっと政治家を信用しましょう」と言っても、なんと言いますか、無理でしょう。
ただ、幸いにして司法や警察はまだ日本国民の信頼を致命的なまでに損なっておらず、むしろ世界を見れば相対的に高い信頼を保っていると言えるでしょう。
もちろん時々不祥事をやらかしてくれますし、稀にクリティカルな失敗をすることも事実ではありますが、少なくとも「賄賂を渡せば見逃してくれるだろう」とは思えない程度に、組織の士気や健全性が保たれていると言えます。
社会秩序の根底は当然ながら”法”です。
よって法を制定する立法府、法を適用する司法、法を執行する警察の3つが適切に機能していること、それらに対して人々が信頼を寄せていることが社会秩序のバロメータと言えます。
日本が諸外国と比して治安が良いとされているのは、それらに対する信頼が充分に醸成されていることが一因です。国民性や文化などはそれらの上に乗っているものであり、突然訳の分からない理由で逮捕されたり、財産の多寡や人種などの属性で司法から差別されて不公平に裁かれる社会では、どんな人々がそこで生活していたとしても社会秩序を維持することはできませんし、誠実を美徳とする文化も構築されません。
安易な批判は首を絞める
そんなわけで、司法や警察に対する国民の信頼をなんとか維持したいと思っています。
そのためには第一に、国民の側が安易な批判をしないことが必要です。
もちろん不祥事をやらかした場合には適切な批判が不可欠ではありますが、そうではない時にまで軽口のように攻撃をしないほうが良いと考えます。それは当人にとってはちょっとした軽口ですが、蓄積されると社会全体に大きなマイナスをもたらすネガティブフィードバックとなるためです。
もちろん一方通行で無条件に信頼をすべきというわけでもありません。信頼の醸成とは盲目の賛美によってではなく批判的な支持によって成り立つものです。
よって司法や警察は手続き的公正を厳格に行い、倫理と規律を明確に運用し、高い透明性を証明する努力を怠ってはなりません。要するに説明責任です。それを適切に果たしていれば信頼は自然と醸成されていきます。
まとめると、国民はメディアリテラシーを習熟して冷静に情報を受け取り、司法や警察は説明責任を果たすことで適切な情報発信を行うこと、それがネガティブフィードバックを防いで組織腐敗を避けるための道だと言えます。
結言
要するに双方向性です。
どちらが悪いとか、どちらがどうすべきかではなく、どちらも努力する必要があります。理想と現実のギャップ自体が信頼を損ねる原因ではなく、ギャップを解消しようと努力する姿勢こそが信頼を醸成する鍵です。
不祥事を起こさないことが理想かもしれませんが、もし不祥事を起こしたとしてもその改善と対策を誠実に実施する姿勢をちゃんと見せることが信頼回復となりますし、人々はそれを公正な視線で見る必要があります。