忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

使えるものは何でも使え、ただし倫理は忘れずに

 

 Don't be evil(邪悪になるな)は、本来の文脈にちゃんと接続されていれば有益なモットーだと思います。

 

実用主義(プラグマティズム)の考え方

 生家の家訓、と言うほどでもないですが、よく家庭内で使われていた言葉の一つに「立っている者は親でも使え」があります。

 実に実用主義的です。

 そもそも言っていたのは親から子どもに対してだったので、本当にただ「動けるものが動くべきだ」とした教えでした。

 

 そんなプラグマティズムに染まって育ってきたためか、道具・技術・思想、その他様々なありとあらゆるものにおいて、「使えるものは何でも使え」と私は考えます。

 私は何事も中道を是とすることを常々主張していますが、これもある種の実用主義に基づく発想です。最善のポイントへ着地するためには、あれも、これも、それも、どれもこれも全部使って良い感じに調整すればいい、そう考えます。

 もちろんこれは簡単な話ではありません。

 どれもこれも使うためにはどれもこれも理解して使いこなせる必要があるためです。

 それこそ武芸百般を極めるような修練が求められます。万人にそのような努力を強いることは無理ですし、私自身もまだまだ修行中の身です。真に中道を極めるためには全てに精通した万能型である必要がありますが、あれもこれもに手を出すと下手をすれば器用貧乏に陥るリスクもあり、なんともイバラの道と言えるでしょう。

 

 特に思想・信念・イデオロギー関連は難しいかと思います。

 一つの信念や信条にこだわらず複数を使い回すことに忌避感を覚えたり変節だと感じたり拒絶反応を示す人はどうしてもいるものです。

 厳しいことを言えば「If all you have is a hammer, Everything looks like a nail」(ハンマーしか持っていなければすべてが釘のように見える)であり、厭味な言い回しをすれば頑迷固陋ではないかと愚考しますが、とはいえ信念に殉ずる生き様も一つの理想形であることには違いありません。

 まあ単純に趣味が違うだけだと考えています。

 というよりは「こだわり」のポイントが違うだけなのでしょう。言ってしまえば私は実用主義に固執しているのですから。根底の部分は同じようなものです。

 

倫理、それを捨てるなんてとんでもない

 なお、「使えるものは何でも使え」と「目的のためには手段を選ぶな」は似て非なるものです。前者は邪悪(Evil)を拒絶し、後者はEvilを許容します

 細かく説明してみましょう。

 「使えるものは何でも使え」を英語で言えば"Use whatever works"であり、whatever works(役に立つものや都合のいい方法)は倫理的に問題ない手段に制限されます。「この仕事はどうやればいいですか?」「whatever works for you(貴方のやりやすいようにどうぞ)」「分かりました、顧客をぶん殴って無理やり契約させます!」なんてありえないようにです。

 対して「目的のためには手段を選ぶな」を英語で言えば"The end justifies the means"であり、直訳すれば「目的は手段を正当化する」です。こちらはむしろ倫理的な制約を取り払うことが主眼です。たとえ悪い方法であっても高潔な目的のためならば許される、造反有理/革命無罪の理屈です。

 

 例えば犬小屋を作る必要があったとしましょう。

 お金を払って買ってくる、道具を使ってDIYする、知人から譲ってもらう、作り慣れた人に頼むなどなど、様々な選択肢を考慮して最適解を選ぶのが「使えるものは何でも使え」です。

 対して「目的のためには手段を選ぶな」では、ホームセンターから窃盗することすら選択肢になりえます。

 

 当然ながら、倫理は大切です。

 だから私は「使えるものは何でも使え」とは言いますが、「目的のためには手段を選ぶな」とは推奨しません。

「正しさ」のメッキを剥がした後に残るもの:目的は手段を正当化しない - 忘れん坊の外部記憶域

 

結言

 様々な問題へ対処するためにはたくさんの道具を揃えておくことが重要ですが、実は使ってはいけないものを見極める倫理の力こそが、最も使えるものなのかもしれません。