忘れん坊の外部記憶域

興味を持ったことについて書き散らしています。

AIを使うと「お利口さん」になるのか、「お馬鹿さん」になるのか

 

 何事も両面的。

 

両極端な研究結果

 新しいものが社会に広まるとコミュニティや社会の価値観・利益・幸福などを脅かすという広範な恐怖感が生じて、その功罪や有害性が盛んに議論の俎上に載せられるようになります。

 モラル・パニック、或いはソーシャル・パニックとも呼ばれるそれは、野球、テレビ、携帯電話などなど、様々な事象や現象に対して常に行われてきました。

 昨今ではAIが徐々に日常生活へ浸透しつつあることから、AIが社会へ与える功罪についても徐々に議論や研究が進んでいます。

 

 例えば、AIを使うと知的関与が減少して批判的思考が弱まる可能性があるとした研究結果があります。

 反対に、AIを使うと創造性・問題解決能力・メタ認知を強化する可能性があるとする研究もあります。

 

 AIを使うと「お利口さん」になるのか、「お馬鹿さん」になるのか。

 実に曖昧な問題です。

 

 とはいえ、身も蓋もない話ですがこれは単純な話だと思います。思考を委任するためにAIを用いるか、或いは思考を補助するためにAIを用いるかで差が出るだけでしょう。

 

認知的オフロード(Congnitive offloading)

 キーワードは認知的オフロードです。

 認知的オフロードとは、脳の負担を減らすために記憶や情報処理など認知作業の一部を外部ツールや環境に委ねる行為を意味します。

 ノートにメモを取ったり、計算に電卓を使ったり、地図アプリを使って道を検索させたり、AIに文章作成を任せたりすることが事例として挙げられるでしょう。

 ちなみにこのブログも、私が思考したことを書き出して保管しておく"外部記憶域"ですので、まさに認知的オフロードを行っていることになります。

 

 私たちがAIを使う場合、脳内で処理する情報や判断をAIに任せる用途が一般的です。

 つまりAIの用途は今のところ多くの場合で認知的オフロードとなるでしょう。

 AIによって認知的オフロードを行った後、自らが異なる認知作業を行わなければ思考力が衰えるでしょうし、自らが異なる認知作業を行えば思考力は向上することになります

 言い換えれば、思考を外注するか、思考の分業をするかの違いです。

 

 何もAIだからと難しく考える必要はなく、AIに無関係でも同じ現象は起きます

 部下を持つ上司を例にしましょう。

 部下に仕事を任せて自分は何もしない上司が居たら、その上司は業務処理能力が衰えていきます。

 部下に作業を任せて自分は意思決定や結果の評価など高次の認知活動に集中している上司ならば、その上司の能力は伸び続ける一方です。

 自ら思考をし続ける人は思考力が伸び続けますし、思考を放棄する人は思考が衰えます。

 認知的オフロードを「脳を休ませるため」に用いるか、もしくは「別のことに脳を使うため」に活用するか。

 ただそれだけの違いであり、AIだからどうこうといった話ではないと私は考えます。

 

結言

 つまるところ、AIを使った結果「お利口さん」と「お馬鹿さん」のどちらに分岐するか、その境目は自ら思考をし続けるか否かです。

 思考を丸投げしてAIに頼り切っていては衰える一方ですし、AIと思考を分業していれば成長し続けるでしょう。

 

 いずれAIはあらゆる面で人間の思考力を超えていくことになりますが、だから人間の思考力は不要だと考えてAIに頼るか、だけど人間の思考力は必要だと考えてAIを使うか、そのどちらが正解かは分からない以上、個々人で選択する必要があるかと思います。