私はこのブログにおいて、できる範囲で両論併記した上で、比較的明確に自らの意思表示や意見表明をしていると思っています。
ただ、その目的は教化や啓蒙ではなく、ましてや誰かの意見を否定するためではありません。むしろ異なる意見を持つ人による反論や異論によって互いに学び合うことこそが豊かさに繋がると信じています。
仲間の種類
社会的アイデンティティの獲得、認知的不協和の回避、予測可能性の安定化、承認欲求や所属欲求の充足などを理由に、人は本能的に同じ意見を持った同質的な集団に所属して安心したいと考えます。
それを人は仲間と呼ぶでしょう。
しかし、仲間とは大雑把に分けて2つの種類があります。
一つは「意見を同じくする仲間」。
一つは「目的を同じくする仲間」。
意見を同じくする集団は、例えば【学生運動の派閥】や【趣味のコミュニティ】、あるいは【政治的イデオロギー集団】などが挙げられます。好みや意見を共有・一致することによって連帯が生じる集団です。
目的を同じくする仲間は、例えば【災害ボランティア】【企業・プロジェクトチーム】【国際団体】などが挙げられるでしょう。これらはそれぞれのメンバーがやることや考えていることは別々であり、しかし同じ目的に向かって協働する集団です。
前者は社会的欲求に沿った同質的な集団であり、後者は物質的要求に沿った機能的な集団だと言えます。
私たちの直観では、前者の同質的な集団こそが仲間だと認識しやすいでしょう。
しかし厳しい現実ではありますが、強固なのは後者の機能的な集団です。
同質集団は安心感を与えてくれますが排他的になりがちで中長期的に見ると持続不可能です。一方で、機能集団は調整や対話が不可欠であるものの多様性を生かして長く継続されます。
端的に言えば、同質集団は停滞することが目的で、機能集団は進めることが目的です。
もちろん片方が正しく片方が間違っているといった話ではありません。同じところに留まって安心を得たいか、それとも前に進んで目的を達成したいか、人それぞれ求めるものは異なるのですから。
さらに言えば、上述の内容は少し誇張が強くもあります。利点と欠点は表裏一体であり、例えば危機的自体においては同質集団の即応性と結束力が強く機能しますし、機能集団は組織内の摩擦が必然的に多く生じることから不合理なところもあります。
ただ、仲間意識にはこのような違いがあることを知っていると、自分が何を求めているか、そして所属すべき集団も自ずと選びやすくなるでしょう。
国民国家という仲間
個人の範囲であれば、どちらの仲間意識を重視しても問題ありません。
しかし現実として、小規模集団では同質性が機能しますが大規模集団では目的共有が不可欠であり、大規模集団においては「目的を同じくする仲間」の意識が必要です。
もう少し厳密に言えば、大規模集団は同質性だけでは維持できません。
国家を事例にしてみましょう。
国家観も同じように人によって異なります。
国民を「意見を同じくする仲間」と考える人は、外国人へ排他的になったり、逆に同じ国民同士でも意見の違いを許容できないでしょう。
国民を「目的を同じくする仲間」と考える人は、国家の目的である『国民の生命・財産を守ること』を達成するためであれば意見が異なっていても協働します。
どちらであってもいい、と言いたいところですが、同質的な集団はどうしても規模拡大に限度があるため、国家のような大規模集団で同じ意見を持つ人だけが仲間であると考えた場合、その先にあるのは分断です。
そして多様性を排除した集団は一見まとまりがあるように見えても、外の世界との接点を失い成長の可能性が失われることから、分断は望ましくありません。
よって国家のような大規模集団では意見が異なっていても仲間としての紐帯を結ぶため、基本的には目的を軸に連帯する必要があります。
結言
個人的なおすすめとしては、どちらの仲間意識も大切にすることです。
人には安心が必要ですし、前進も必要です。
意見が一致する仲間も、目的を共有する仲間も、どちらも仲間として認識することができれば、それが最も堅牢になり得ます。