話し合うためには、相手を「悪魔化」してはいけない。
すれ違いの勘違い
安全保障の議論では、しばしば次のような言葉が飛び交います。
「抑止力が働かなければ戦争リスクが上がる、戦力を持たないなんて、そんなに戦争をしたいのか」
「他国の有事に首を突っ込むべきではない、戦力を持ちたいなんて、そんなに戦争をしたいのか」
しかし実際には、戦争をしたいと考える人はほとんどいません。ほぼ全ての人が戦争を避けたいと願っており、そのための手段について意見が分かれているだけです。国際関係論で言うところのリアリズムとリベラリズムのどちらに基づいているかが違っているに過ぎません。
では、なぜ「戦争を避けるための手段の違い」が「戦争を望む/望まない」にすり替わってしまうのか。
そこには誤解と、無意識の詭弁論法が存在します。
すれ違いの構造
誤解と無意識の詭弁が生じる構造をまとめてみましょう。
一つは偽りの二分法と呼ばれる典型的な誤謬です。
偽りの二分法とは、実際には複数の選択肢があるのに二つの選択肢だけしか考慮しない状況を指します。
例えば「私の意見に賛成しないのならば反対なのだろう」と考えるのは偽りの二分法の典型例と言えます。実際には中間として「一部賛成」「条件付きで支持」「別案を出す」などがあり得るためです。賛成/反対で二分すること自体が誤りとなります。
安全保障の議論では「リアリズムかリベラリズムか」「抑止力か対話か」など、思想や手段が明確に二大路線として分かれているため、「こちらが正しくあちらが間違えている」と誤った二分をしがちな構造になっています。実際には抑止力と対話の効果は時と場合と状況によるものであり、こちらが正しくあちらも正しい状況や、こちらもあちらも間違えている場合だってあるのにです。
①「私は戦争を望んでいない」
→②「私の意見に反対する人がいる」
→③「その人は戦争に賛同しているに違いない」
このような機序はまさに偽りの二分法による典型的な誤謬と言えます。③は①と②の条件だけでは導出できません。
安全保障においてはストローマン論法(藁人形論法)も生じやすくなります。
ストローマン論法とは、相手の立場や意見を歪めて、それに対して反論する詭弁です。
例えば、「環境のために公共交通機関を充実させるべきだ」「君は自動車を全廃すべきと考えているのか」と言ったように、相手が言っていないことを誇張したり歪曲して反論する行為を指します。
感情的な対立を引き起こして的外れな批判に終始することになるため、ストローマン論法は極めて有害な詭弁です。
安全保障は軍事・外交・経済・世論など複雑で難解な要素が絡むため本来は多面的な理解が必要なのですが、その複雑さを簡略化するために単純な二項へと還元せざるを得ない傾向があります。
つまり意図せずに相手を「戦争を志向している」と歪めてストローマン化してしまいがちなのが安全保障の議論です。詭弁を弄しないように留意する必要があるでしょう。
最後に、人格攻撃を目的としたレッテル貼りと悪魔化も安全保障の議論では頻繁に生じます。
なにせ「戦争回避」はほぼ全ての人が合意できるであろう「善」です。
よって”善”を主張しているのだから反対意見は”悪”だろうと、容易に偽りの二分法が生じてしまい、さらにそこから”悪はとにかく攻撃していい”として人格攻撃が生じやすくなります。
①「私の意見は"善”である戦争回避を目指している」
→②「私の意見に反対する人がいる」
→③「”善”に反対するのは”悪”であり、相手は人格や意見に問題がある」
理屈が通っているように見えるかもしれませんが、これは反対意見を一切精査せず無限に自論を正当化できてしまう詭弁です。話し合いや議論を一方的に拒絶する態度だと言えます。
これらが組み合わさることで、本来は複雑な安全保障の議論が「戦争を望む/望まない」とした単純な構図に還元されてしまい、感情的な罵り合いや人格攻撃が飛び交うことになります。
結言
基本のキ、大前提として、ほぼ全ての人は戦争を望んでいません。
少なくとも安全保障に意見や関心を持っている人は戦争回避を是としている人ばかりであり、共通目的は同じです。
「そのやり方は間違えている、愚かであって、被害をもたらす悪行だ」とか「世の中には極悪非道な奴がいて戦争を求めているんだ」とかを考えたくなる気持ちは分かりますが、残念ながらそれこそが対話を拒む姿勢に他なりません。話し合いをするためには誤解と無意識の詭弁を排除する必要があります。罵り合って揉める必要など本来はありませんし、争いを避けるための議論で争うなどおかしな話です。