唐突ですが、「生きやすさ」「生きづらさ」について、摩擦の観点で考えてみましょう。
工学屋的な考え方ですが、日常の違和感やストレスを“摩擦”として捉えると、意外と整理しやすくなるからです。
「生きやすさ」「生きづらさ」の分解
「生きやすさ」「生きづらさ」というフレーズは時々見かけるのですが、実はあまりピンと来ていなかったりします。何事においても鈍感な私はそもそも日々の中で「生きづらい」と感じることがさほどありません。
これが「生きやすい」から感じないのか、或いは「生きづらい」のがデフォルトになっていて感じていないだけなのかは分かりません。
「生きやすい」状態を知らなければ人は自らが「生きづらい」かも判別できない以上、「生きづらさ」を感じている人は過去に「生きやすい」状態を経験していると言えるかもしれませんが、結局のところ、生きやすかろうが生きづらかろうが、そこに苦しみが生じていなければ問題はありません。
とはいえ、苦しみが生じる原因については仏教的に興味関心があります。
人は何故「生きづらさ」を感じるのか、「生きやすさ」との単純な相対性以外にも何かしら言語化が可能なはずです。
一般的な指標である金銭や成功などは「生きやすさ」「生きづらさ」の説明変数足り得ないでしょう。お金が無くとも生きやすい人はいるでしょうし、社会的に成功していても生きづらい人はいます。「生きやすさ」とはそういった物質的なものではなく、いわゆる「自分らしさ」を発揮できているかで決まりそうです。
言わば摩擦です。自らの性質と周辺環境との摩擦、自分の価値観と社会の要求との摩擦、自らのペースと他者のペースとの摩擦などなど、周囲や環境との摩擦係数の大小が「生きやすさ」「生きづらさ」のバロメーターとなるでしょう。
もちろん、摩擦が悪と断定するわけではありません。
摩擦は大抵の場合で不快なものですが、同時に私たちを支える力にもなります。タイヤが路面を掴むように、適度な摩擦は前進のために必要です。
ただ、今回は摩擦の低減を主題として思索を進めます。
摩擦係数を高める要因
摩擦係数を決定するパラメータについても考えられそうです。
摩擦のメカニズムはややこしいですが、基本的には「凝着」「内部摩擦」「掘り起こし摩擦」「潤滑」で説明できます。
「凝着」は、接触部が化学結合(凝着)を作り、滑り面の運動とともに破断と再凝着を繰り返すことで摩擦が生じる現象です。タイヤがアスファルトにへばり付いてグリップを生み出していることをイメージすれば理解しやすい現象かと思います。
人に例えるならば、過剰な同調や自他境界の曖昧さ、過度な共感や依存的な関係性と言えそうです。
他者や環境へ過度に”密着"していることが凝着の原因ですので、過剰な同調は避けて、自他の境界線を明確にし、過度な共感や依存的な関係を控えること、すなわち物理的・心理的な距離を適切に取ることで改善できるでしょう。
「内部摩擦」は物体が変形して元に戻る時にエネルギーが失われる現象です。柔らかい物質ほど接触時に変形して元の形状へ戻ろうとするためエネルギーを消費します。
人に例えるならば、過剰な自己批判や不安・反芻思考、完璧主義など、内側で起きる過剰反応や感情の揺れと言えます。
内部摩擦を減らすためには、メタ認知を鍛え、感情の言語化と外部化を行い、完璧主義を避けて自己受容を増やすことが効果的です。
「掘り起こし摩擦」は硬い側の表面が柔らかい表面を掘り起こすことで生じる摩擦で、表面の凸凹が大きいほど摩擦が増える現象です。
人に例えるならば、コミュニケーションスタイルで説明できるでしょう。無神経な言葉や価値観・人格の否定、不必要な批判や誹謗中傷など、コミュニケーションの粗さが摩擦を生み出します。
低減方法は明確で、言葉遣いを丁寧にし、相手の価値観を尊重し、トゲのある表現を避けて対話を行うことなどが有効となります。
最後に「潤滑」は摩擦を変化させるファクターであり、固体同士の間に流体膜を挟むことで摩擦を大幅に低減することができます。
人に例えるならば、他者や環境と直接接触しないためのクッションや媒介です。ユーモアや緩衝材となる言葉遣い、礼儀作法やマナー、第三者の仲介や制度による介入などに相当します。
感情的にならず時間を置いて柔らかい表現を選び、ユーモアや形式を活用し、第三者や制度を介在させることがで摩擦は劇的に減ることでしょう。
ここまで述べてきたように、人によっては厳しい現実かもしれませんが、「生きやすさ」「生きづらさ」を決めるファクターは基本的に自らの考え方や振る舞いです。自らの内面や外部との接触の仕方によって摩擦係数は決まります。
もちろん個人の努力では限度があることも事実です。どれだけ努力をしても他者や周囲環境の摩擦係数が高ければ強い摩擦が生じます。そういった場合は関係を見直したり環境を変える他ありません。
ただ、自らの摩擦係数を低く保っていれば、たとえ摩擦が生じたとしても被害を受けにくくなりますので、結局は"自らの考え方や振る舞い"が「生きやすさ」「生きづらさ」を決める絶対的なファクターだと言えます。
「生きやすさ」を求めるならば、或いは「生きづらさ」を低減したいのであれば、自らの摩擦係数を下げることが効果的です。
結言
ここまで摩擦の低減を前提に考えてきましたが、実際のところそれが最善かは分かりません。摩擦係数を下げるのではなく、摩擦を受容する方向性もあるためです。
摩擦が無い人生もそれはそれでツルツルと流されるだけになりますので張り合いがないでしょう。とはいえ過度な摩擦で焼け付くのも避けたほうがいいです。
要するに、極端を避けての二段構えが妥当だと考えます。
耐えられない摩擦は低減し、耐えられる摩擦は受容する。
その柔軟さこそが、生きやすさを支える土台となるでしょう。